No.88
館人(たてじん)気質
ただひたすら実直に農地を開墾し続け、
苦しいながらも助け合って暮らしを乗りきってきた。
そんな「館人」たちが日々が培ったものとは。
山田ハル
取材・文 中村邦英
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館地区にお住まいの山田ハルさん宅に伺った。民話や昔話に詳しい山田さんは御年92歳とは思えぬ、しっかりとした足取りで出迎えてくださった。
「覚えている範囲でよろしければお答えしますけど、役に立ちますかねぇ。」とゆったりとした口調で山田さんが話すと、ほっと心がほどけた。山田さんは一冊の資料を見せてくれた。それは戦中・戦後の記憶を語る活動を紹介した資料だった。山田さんは、これまで多くの人たちに、戦中の暮らしぶりについて語ってきたのだそうだ。
山田さんは昭和18年(1943)から3年間を湊国民学校で、昭和21年(1946)からは館国民学校で教鞭をとった。以前は南宗寺界隈に住んでいたが、昭和20年に八幡に移り住んだ。当時は貨幣が全く役に立たず、専ら物々交換で必要な物資を調達していた。食べ物もことごとく不足しており、普段はご飯に大根やジャガイモを混ぜ込み、嵩を増やして食べた。修学旅行の際には、旅行先で食べる米を背負って参加したそうだ。
また、小学生が家の農作業を手伝うのは当たり前で、1年生はひまわり畑、2年生はジャガイモ畑、3年4年はヒマ(種子から油をとる)栽培、5年6年は高等科の生徒と一緒に金吹沢の山を開墾して大豆を植えた。5月中旬の一週間は、田植えのために学校が休みになった(農繁休業)という。
教員だった山田さんの当時の月給は32円。ちなみに林檎は当時一箱500円で、とても手が届かなかった。当時の館村はほとんどが農家で、農作業には馬が必須だった。馬を飼っていない家は、馬のいる家の農作業を手伝い、その代わりに自分の畑を耕してもらう「結(ゆい)」の関係を作り、厳しい農作業を乗り切った。
厳しい生活の話ばかりで少々息苦しさを感じた私は「楽しい思い出話はないんですか。」と思わず尋ねてしまった。暫く考えていた山田さんは、またゆっくりと語り始めた。
「昔の遊びは楽しかった。竹スキー、凧、独楽、おはじき。素材の厚さ、長さ、曲げる角度など、どれも自分で工夫を加える楽しさがありました。また、櫛引八幡宮で行われる春のお祭りや秋の例大祭には、沿道にぎっしりと露店が並んで、それはそれは賑やかだったんですよ。当時の一番の楽しみは、神社で開催される芝居(大衆演劇)でしたね。」
山田さんのお話から、戦後間もない時期の素朴な暮らしぶりが浮かび上がってきた。
「館地区は馬淵川がしばしば氾濫したこともあり、米がとれず、貧しい中を耐え忍ぶ質素・倹約な生活の記憶ばかりですけど、それに比べ湊の国民学校時代は景気が良かったんです。漁師は船が港に帰るたびにお金がどっさり入ってくるので、中には新品のオルガンを学校の全学級に寄附してくれる保護者もいたんですよ。教員である自分の月給が32円の時、中学生が親のイカ漁の手伝いに行くと、一回あたり500円のお金を稼いできました。新しく教師が赴任すると、普段から学校に寄附してくれたりするご家庭に一軒一軒、家庭訪問で挨拶に回って歩いたものです。ハマの景気の良さを肌で感じました。」
と、山田さんは目を細めながら語ってくれた。
ハマの豊かな暮らしを見て、当時の館地区の人たちはどう思っていたのだろうか。そう心の中で思いつつ、この地域で暮らしていて良いところはどんなところですか、と尋ねると、山田さんはまた暫く考え込み、しぼり出すように語り始めた。
「確かにこの地域での暮らしは苦しかった。ハマのような景気のいい話もほとんどありませんでした。農業なので楽になる時期は収穫期の年に一度だけ。でも、苦しかったからこそ、本家を中心としてどこの家もお互い助け合っていこうという、互助の気運が根強く、そういうところに助けられたところはあったような気がします。」
「こんな話でお役に立てたんでしょうか。」山田さん宅を辞す間際、取材の出来を心配して何度も尋ねてくる山田さんに、丁寧に取材にこたえてくださる誠実さや忍耐強さ、自分のことよりも相手のことを心配する謙虚さ、心の細やかさを感じた。これこそ館の人たちが厳しい風土の中で育み、受け継いできた『館人気質』なのではないか、山田さんは館地区の生まれではないものの、数十年この地域で過ごすなかで、地域に根付いた気質を受け継ぎ、磨かれたのではないのか、との思いを巡らせていた。
どこに行っても同じような顔の人間ばかりじゃつまらない。八戸はこれからも、地域の気質を人柄から感じられるような、豊かな街であって欲しい。
取材に応えてくれた方
山田ハル(やまだはる)/プロフィール
元教員。八幡地区で戦中・戦後の地域の様子を語る一員として活躍。地域の民話や昔話、伝承や慣習にも精通しており、八戸市史編纂室が編集した民俗調査報告書「館地区の民俗」の編集・発行にあたっては、「Ⅳ人生儀礼」の聞き取りに協力。
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取材と文
中村邦英(なかむらくにひで)/プロフィール
45歳。3児の父。カレーとつけ麺に目がない。高校3年生の時に車に轢かれた経験があり、養子縁組で姓名も変わったため、小中学校時代の同級生に会うと、生きていることを驚かれることがある。