No.14

百余年の時を刻み続ける「新むつ旅館」

後世に継承したい、洒脱な旅館で耳をすませば、
ひとときを過ごした人々の息遣いが聞こえ、情景が目に浮かぶ。
明治・大正・昭和と、湊の歴史の一片を彩った文化がここにある。

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川村紅美子
取材・文 松原新一

 新井田川と馬淵川が合流する湊川口は室町中期頃からの漁港であった。他藩からの漁業労働者も多く集まり、港は多くの船でひしめき合っていた。現在の川口神社のあたりに、当時、川口奉行所(十分の一役所と呼ばれた)が置かれ、漁獲量の十分の一の税金を徴収するとともに廻布船の出入り、荷物の積み下ろし作業の管理、周辺の警備にあたっていた。
 漁師や交易船の乗組員も多く、湊川口周辺には船方小屋、船宿が繁盛しており、そこで働く飯盛り女が湊川口には42人、鮫に31人いたことが文政年間の記録に残っている。飯盛り女のことを「おしゃらく」と呼び、彼女たちは唄や踊りも習っていた。天保13年の旅日記に、江戸から来た旅人が湊や鮫で遊女の接待を受け、三味線で「かまどがえし」の唄を聞いたとある。
 江戸時代から船着場近くには歓楽街が形成されており、明治の大火以降、小中野浦町と新地に中心が移り、着飾った女性のもてなしや、芸者衆で賑わう遊郭街に発展していった。当時小中野周辺には、貸座敷39件、160人の芸妓がいて、東北一とうたわれていた。城下から湊まで当時20銭の乗合自動車で通う旦那衆で大いに賑わっていた。

  鮫と湊の間の狐
  わしも二・三度だまされた
  行けや鮫浦、戻れば湊
  ここは思案の湊橋

と唄われた「白銀ころばし」が流行った良き時代であった。
「新むつ旅館(旧新陸奥楼)」は小中野新地に、往時の隆盛がうかがえるたたずまいをみせている。鉄板葺き・切妻屋根の木造2階建てで、どっしりと落ち着いた雰囲気の明治の館である。平成18年、国の有形登録文化財の指定をうけ、10年目を迎えた。百年余りの歴史を経た純日本建築である。明治31年に貸座敷の許可をうけて開業した新陸奥楼は、時代の流れで昭和32年の売春防止法施行のため、旅館に転業し現在に至っている。
 新むつ旅館の正面玄関は、中央部が弓なり状になり、両端が反り返った「唐破風」と呼ばれる日本古来の屋根の形状をしている。その玄関をくぐると映画のセットのような光景が広がる。式台の先は黒光りする廊下、左手に帳場、右手にY字型の階段と空中回廊が目に飛び込む。頭上の明るさにつられて真上を見上げると天窓の光が、スポットライトのように照らしてくれる。
 帳場で4代目のおかみさんが出迎えてくれた。東京深川生まれの川村紅美子さん。凛とした立姿がおかみとしての風格を感じさせる。風雪に耐え、時代の記憶を刻む館内を川村さんに案内してもらい、時代の縁を説明していただいた。
 鱗紋や七宝紋の意匠を凝らした庇の鼻隠し、明治時代に流行った黒曜石を使った孔雀壁の床の間、将棋(娼妓)にちなんだ部屋札、鈴の意匠の襖の取っ手、鶴と梅をあしらった釘隠、梁に彫られたひょうたん、階段手すりのコウモリの透かし彫りなどなど、そこに施された高い技術とともに、当時の粋な細工や職人技が随所に見られる。また、明治34年にお客様用に揃えた金箔入り中鉢、三重九谷丼、会津焼皿、輪島塗りのお膳なども贅沢この上ない見事な品々で大切に保管されている。
 今日だったら個人情報云々と目を白黒させられそうな明治30年からの遊客帳には、来客の特徴、接客した娼妓など、細かに記載されており、最後に警察の印鑑が押されている。数々の文化人・要人などが歴史を刻んだ国の有形登録文化財、貴重な財産である遊客帳は当時の時代の熱気を伝えている。
 最近、インターネットのおかげで全国から問合せがあり、若い人からの連絡が増えている。毎月宿泊客の予約でほぼいっぱいになっており、対応に追われる毎日である。
 鮫を代表した石田屋旅館は、東日本大震災で被災し残念ながら撤去された。新むつ旅館は、震災による被害は軽微ではあったが、屋根の全面修理など、全国のみなさんの応援で復興補強工事を終えることができた。
様々な人々の愛着が降り積もって、忘れがたい温かさに満ちているこの旅館をぜひ後世に継承したい。そのためにはどのような方法がいいのか毎日あれこれ悩んでいる、と川村さんは言う。
 百余年の時を刻み続ける「新むつ旅館」は、他にはないその風情を愛する人々に支えられ、今も歴史を重ねている。

取材に応えてくれた方

川村紅美子(かわむらくみこ)/プロフィール
1939年生まれ。東京の深川生まれ。明治32年から創業の新むつ旅館の4代目女将。東京でサラリーマンをしていたご主人・川村久雄さんと昭和37年に結婚。ご主人は仕事で東京・仙台・イタリアのヴェニスで生活し、65才の時に八戸にもどり実家の旅館業に付いたが、妻・紅美子さんは39才のときに先に八戸に住み、ご主人の実家である新むつ旅館を継ぐ。

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取材と文

松原新一(まつばらしんいち)/プロフィール
69歳。はっちボランティアガイド。歴史が好きで、学生時代4年かけて日本一周史跡めぐりをした。退職後は地元の史跡をかけずり回り、地元のすばらしい史跡に驚く。知れば知るほど歴史っておもしろい。誰かに紹介せずにはいられない今日この頃。


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