No.61
笹ノ沢神楽で集落を守る
おとなたちから子どもたちへ。
神楽の稽古場には、八戸人の心意気と伝統美を
若い世代へ伝えるかけがえのない時間が流れている。
加藤義男 笹ノ沢神楽の方々
取材・文 工藤恵美子
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正直に告白しよう。「神楽って何か?」を私は全く知らなかった。神様を祀るための「舞」と「奏」があることも、獅子頭は権現様で神様を指すことも今回の取材で初めて知ったのである。こんな無知な私にもかかわらず、笹ノ沢生活館に集まったチーム笹ノ沢神楽(勝手にそう呼ばせていただこう)の方々は、丁寧に、熱く自分たちの神楽について語ってくださった。
笹ノ沢地区で神楽が始まったのは明治以前と言われている。師匠の加藤兼吉さん(80代)の父親の世代が10代後半のとき、大仏(同じ尻内地区)と中野(南郷)の若者たちと一緒に岩手県まで神楽を習いに行ったという。神楽は五穀豊穣や無病息災の祈りを込めて神社に奉納され、家の新築祝い、厄払いなど集落の大事な場面で長い間執り行われてきた。
笹ノ沢神楽は山伏神楽の系統で、各家の長男たちが口伝えで伝承してきた。何度も何度も師匠や先輩の舞を目で見て、演奏を耳で聞いて覚える。師匠の加藤さんたちが若い頃(昭和20年代)は、湊町の大祐神社に2カ月間泊まり込み、他地区の神楽チームと互いに教えあって芸を磨いたという。磨かれた芸は「美」そのものであり、神様に喜んでいただいて集落の安寧につなげたいという使命に彼らは応えようと精進していたのではないだろうか。神主さんの家に泊まりこんでの春祈祷や門付けなど、集落の人々と過ごした当時のなつかしい写真を見ると師匠の加藤さんのお話は止まらなくなる。
笹ノ沢神楽が披露されるのは集落だけでなく、廿六日町の神明宮の茅の輪祭など八戸市内のいろいろな神社の行事や三社大祭など多くの機会がある。時には岩手県の久慈まで足を運ぶこともあるという。
チーム笹ノ沢神楽は笹ノ沢地区の28歳から86歳までの5人と矢坂地区の助っ人も含めて10人ほどで構成される男衆である。
一番若い山下徹さんが神楽を始めたのは、自分の結婚式でお祝いのために披露された神楽に魅了されたことがきっかけという。そんな山下さんに神楽の魅力を問うと、「神楽を人前で披露できること」と言葉少なに答えてくれた。そのときは意外な答えに感じたが、後日神楽のDVDを見て納得できた。笛と太鼓と鐘というシンプルな楽器が奏でる音には、一瞬で幼かった自分に戻れるような懐かしさと温かさがあった。また、神聖な中にも躍動感が感じられる舞や曲芸的な動きは見る者を引き付け、感謝と祈りを込めて真摯に舞う姿は、まるで神と対話をしているかのようだ。こうして神楽を披露することで、見る者と神様との距離を縮める役目を果たしてきたのだろう。山下さん自身気づいていないかもしれないが、その役割を担える潜在的な喜びを、肌で感じ取っているのではないだろうか。
田んぼが広がる地域で、今は兼業農家が多く78軒が暮らす。増えもしないが、ほとんど減りもしない。「ここしか行くとこがないもんね。結婚して出て行くっていう感覚もないしね。いい町内だよ」と山下さんが笑う。
神楽の演目には一つ一つに意味があり、演じることでこの集落を守っているという自負が彼らにはある。「昔からの伝統を出来る限り受け継いで次の世代につなげたい」と、もう一人の重鎮である師匠の田端さんは唄帳を広げながら語ってくれた。三条小学校の神楽クラブで子ども達に舞を教えて6年目になるが、中学校に進んでからも続ける子どもは少ないと残念がる。中学生や高校生にも伝えたいし、小学校の時に覚えてくれた子どもたちが成人してこの地に戻ったときに、思い出して神楽を始めてくれたら、と望みをつなぐ。「どうにかして若い人たちにつなげたい。時間はかかるけれど、この神楽を守っていきたい」それは、チーム笹ノ沢神楽だけでなく、笹ノ沢地区全体の願いでもある。
時折、神楽の唄を口ずさみ、その唄に込められた意味を解説してくださる田端さんの姿に、神楽を通して文化を受け継ぎ地域を守り続けてきた誇りを感じ、生活館を後にした。
取材に応えてくれた方
加藤義男(かとうよしお)/プロフィール
1953年生まれ。笹ノ沢神楽代表。師匠と若手をつなぐ中堅メンバー。担当は舞手。趣味はマラソン。笹ノ沢地区に代々伝わる神楽を受け継ぎ、次の世代に継承すべく、日々芸を磨いている。
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取材と文
工藤恵美子(くどうえみこ)/プロフィール
五所川原市出身、58歳、主婦。ミセスV6という団体でビデオを制作し、はっちや八戸テレビで放映。男女共同参画の活動もしています。誰かのために何かしたい若者を応援したいと思い、青森ユースギャザリングというのを始めました。