No.66

子どもたちとともに歴史をつくる ~淀山車組の精神~

時代を超えて山車組を存続させるために、
柔軟な発想で惜しみない努力を続ける人々。
その心意気を後ろ姿で子どもたちに示す。

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大野素敬
取材・文 山本裕美

 三社大祭に参加する「淀山車組」は、おがみ神社の附祭として、昭和59年に始まる。その頃の沼館地域は付近の工場で働く人々の社宅が立ち並び、祭りの参加者は300人以上にもなる、活気あふれる山車組だった。
 そんな地元の山車組に大野素敬さんは小学校4年生から参加していた。山車を引き、山車を作る父を見ながら、高校卒業まで祭りに参加していた。仕事のため地元を離れても、祭りに参加したいと思っていた。
 10年後八戸に戻って来ると、少子化に伴い子ども達は少なくなり、淀の山車組は変わり果てていた。
 三社大祭は豊作を地元の神々に感謝する神事であり、神輿行列である。そして、大人が作った山車を「引き子」と呼ばれる子ども達が引いて行列を成す。子どもがいなくては成り立たない祭りだ。
 その子ども達の参加者が減っていたのだ。大野さんは、このままでは淀の山車組が存続できなくなる、と危機感を感じた。そこで子ども達の参加の呼びかけに奔走した。
 淀山車組のある地域には城下小学校と八戸小学校があるが、同じ地域に「内丸」「城下」「青山会」と合計四つもの山車組がひしめき合っている。その4つの山車組に2つの小学校の生徒が分散するため、獲得できる生徒数には限りがある。ならば、隣の江陽地区の子どもたちはどうだろう?この地区の子どもたちに参加してもらうと、「下組町」「塩町」の2つ山車組に影響が出てしまう。
 他の山車組は、山車の華麗さを競い合うライバルであると共に、足りない道具や技術を提供し、お互い助け合って祭りを成功させる同士でもある。迷惑はかけられない。
 そこで、川の向こうへと目を向ける。馬淵川をはさんだ根岸地区だ。
 三社大祭に参加する山車組は「町内の人が参加するもの」という意識が強かった。そして、馬淵川以北には山車組がなかったため、その地域の子ども達は祭りに参加する事はほとんどない。お祭りは、ただ見るだけのものに過ぎず、どうやって参加すればいいのかもわからない。中には見に行った事もない子もいた。
 平成14年、根岸小学校に通う子ども達へ山車組への参加を呼びかけてみた。今まで祭りに参加する事に興味もなかったという反応だったが、それが「是非やりたい」に変わったのだ。子ども達がバスに乗り、橋を渡ってやって来る事となった。
 初めて祭に参加する人たちは、草履や足袋など衣装の細かい決まりを知らない。トイレに行くために行列を抜けたが山車の運行ルートがわからないため迷子になったり、終始力いっぱい引っ張って、手がマメだらけになったりする子が続出した。全く祭りに参加した事のない人々と、昔から慣れ親しんだ神事と心得ている人々とでは、やはり勝手が違っていたのである。
 そこで大野さんは、今まで「当たり前」と思っていた事をもっとわかりやすくしないといけない、と考えた。受け入れる側の体制も大事だと気付いたのだ。そこで、組の大人たちの中に「渉外担当」を設置した。「トイレマップ」を作り、お祭りの列を抜けても戻ってこられるようにした。ずっと引っ張り続ける事無く適度に休むように子ども達への気配りもした。多くの試行錯誤を行い、少しずつ隔たりを埋める努力を続けていった。
 こうして根岸地区の子ども達が山車組に参加するようになって15年が経った。今、淀の半纏を着た子ども達と「ねぎし(根岸)」の半纏を着た子ども達が、一緒になって引き子をやっている。平成24年には根岸の旗も出来上がり、行列の先頭に二つの旗がなびいている。
 大野さんは製作責任者になって19年になる。淀の山車小屋には時折訪問者がやって来る。以前、引き子をやっていた女の子が母親になって自分の子どもを連れてきたりする。「今度は、子どもを連れて祭りに参加しろよ。」と大野さんが言うと、「わかった。」と快い返事が返ってくるという。
 若い男性がやってきて「覚えている?」と声をかけられた。子どもだった当時とは違い、すっかり背も高くなっているため全くわからない。小学生以来、来ていなかったが再び山車組に参加したいとの申し出に、「作りに来い。」と言うと、「わかった。」とうれしい返事が返ってきた。
「何だかんだ言ってコツコツやってきただけだ。でも、新しい人たちに山車組を引き継いでいけたらいいな。」
長年の積み重ねによって、人を育てることができたという手応えを感じる瞬間である。
 二月の寒風に包まれた山車小屋の中で製作は始まっていて、山車の骨格が出来上がろうとしていた。それを見ながら大野さんは、完成した山車とたくさんの人々の笑顔が見えているかのように、目を輝かせて言った。
「今年はすごいぞ。」

取材に応えてくれた方

大野素敬(おおのもとゆき)/プロフィール
1968年生まれ。淀山車組の制作責任者を務めて20年。小学4年生から高校時まで参加しその後八戸を10年離れ八戸へ帰ってくる。その時に山車を作りたいという気持ちから再び参加し、約30年にわたり淀山車組に関わる。普段は車の整備会社を経営し、仕事後に制作をしている。

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取材と文

山本裕美(やまもとひろみ)/プロフィール
30代。はっちのガイドボランティアをしている。まちぐみ69号でもあり、役者でもあり、各種イベントスタッフでもあり、各種イベントに足を運ぶ人でもある。


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