No.35

くじら橋の伝説

白銀にはクジラの骨でつくられた橋があったという。
橋の材料となる樹木が育ちにくかった土地に、
実際に架けられた橋にまつわる素敵な真実。

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松倉幸一
取材・文 堰端うらら

 海の町、白銀。そんな白銀の「くじら橋」にまつわるお話です。
 まず皆さん、くじら橋とは一体何かご存知でしょうか。私は最初にくじら橋と聞いて、頭にハテナが浮かびました。大きなくじらが横たわり、その丸い背中を人々が渡る。それはまるで絵本にでも出てくるようなイメージでした。そんな橋が実際にあるのか!?くじら橋の真相についてお話を伺うことができました。
 今回くじら橋について語ってくださったのは、松倉幸一さんです。白銀についてとても詳しく、地域の行事などに多く携わっている方です。

 さて、くじら橋は名前の通り「橋」なのですが、なぜ「くじら橋」と呼ばれるのか聞いてみると、この橋は大きなくじらの骨で作られていたそうです。ではなぜ、「くじらの骨」で橋を作ったのでしょう。
 1681年、八戸湾に12~20メートルもの大きさの、マッコウくじらが打ち上げられました。その数なんと36頭。当時は「くじら1頭で3つの湾が潤う」とも言われるほど、くじらはさまざまな部位の利用価値が高く高値で取引されました。
 当時の白銀は、十分な資源がなかったので、人々はたいそう喜びました。ですが人々は、解体の後に残されたこの巨大なくじらの骨の始末に困っていました。そして思いつきました。「この大きな骨は橋を作るのにちょうど良いのではないか。」と。白銀地域は橋の材質となる木があまり育たない土地だったのでこの骨を活用してみようということになったのです。
 そして人々は、巨大くじら36頭分のあばら骨と背骨で組み立てた橋に土を盛りむしろを敷いて「くじら橋」を作ったようです。現在はなくなってしまった大久保川を渡す橋だったそうです。場所は、三嶋神社のちょうど前、線路のあたりです。橋の大きさは、馬車も車もなかった時代なので、人が通れるくらいの小さなものだったようです。
 このくじら橋が存在した場所は、大正13年と昭和36年に鉄道の工事で土を掘り返した際に多量の骨が出てきたことで特定されました。くじら橋は確かに存在していたのです。
 さらに驚くことには、このくじら橋のように動物の骨で作られた橋というのは、全国的にみても珍しいのだそうです。
 取材を通して、昔の白銀の姿を知ることができました。自分の故郷の歴史を知ることの楽しさも見つけることができました。
 白銀には、まだ知られていない謎がたくさんあるようです。その謎をもっともっと解き明かしたいと思います。



取材に応えてくれた方

松倉幸一(まつくらこういち))/プロフィール
1929年八戸市生まれ。「『白銀フィールドミュージアム』と『扇ヶ浦について』の調査研究が面白くなり、現在進行形で白銀町の風土風習のPRに頑張っています。白銀町、扇ヶ浦、鯨のことについて、出前講座も致します。どうぞご連絡ください。」

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取材と文

堰端うらら(せきはたうらら)/プロフィール
こんにちは。八戸高校1年の堰端うららです。バドミントン部に所属しています。趣味は温泉巡りで、好きなことはおかしづくりとそれを食べることです。いつかはバケツプリンを作りたいともくろんでいます。

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