No.9

ハマの大事件『くじら騒動』

おれたちの海を、暮らしを、守りたい。
数年にわたる疑念と悔しさと決意を胸に、
その朝、ハマの人々は死に物狂いで立ち上がった。

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清水圭子
取材・文 長崎泰一

 明治44年(1911年)11月1日早朝

 湊、小中野、白銀、鮫の各所へ集結した漁民たちは、恵比須浜にあるくじら解体場へと向かっていた。
手には、棍棒、丸太、鉄棒などを持ち、漁民たちの顔は怒りに満ちている。
 解体場へ着くころには、1000人を超える群衆へと膨れ上がっていた。
 到着すると、各自持ち場へ着き、一斉に鬨(とき)の声を挙げ、解体場に襲いかかる。
 外から聞こえてくる漁民たちの怒りの声に、解体場職員たちは叩き起こされ、くじらを解体する解剖刀で、応戦を始めた。
 漁民たちは、場内に転がる鯨の骨を手にもち、職員へ投げつけ始める。
 駆けつけた警官たちもサーベルを抜き、解体場職員たちに加勢、場内は大乱闘へと発展していった。数に勝る漁民たちは、一気に攻めたて、職員、警官たちは、次第に劣勢となり、負傷者が続出、撤退せざるを得なかった。

 漁民たちは、場内にある鯨油を撒き散らし火をつけると、解体場は業火に包まれていった。

 漁民は一斉に勝鬨をあげた。

 次に向かったのは、くじら解体場の誘致に動いた商家と漁業組合理事の家である。襲っては、破壊を繰り返し、誘致の際、密談の場となった石田屋旅館を襲ったあと、漁民たちは町へ引き上げていった。

 漁民側の大勝利ではあったが、2名の死者を出し、負傷者10名、という大きな痛手を負った。くじら解体場側は、職員14名、警官7名の負傷者であった。

 国内史上最大の漁民による一揆として記録されるこの事件は、東洋捕鯨会社鮫事業所焼討襲撃事件。通称「くじら事件」、または「くじら騒動」として伝えられている。

 漁民たちがこの行動へ至ったのは、事件から遡ること2年前。6月下旬、湊川口(現在の新井田川河口)に広がる砂浜に、魚、ホッキ貝、蟹など多数の死骸が打ち上げられた。漁民たちは、くじら解体の影響では?と疑念をもつ。
 その死骸を手に、村役場へ訴え出た。
 数日前、恵比須浜で長須くじらが一頭解体され、大量の鯨血、鯨油が、海に廃棄されていたからだ。

 その1年前、有力商家と一部の漁業組合理事は、石田屋旅館にて、捕鯨会社と会合を持ち、くじら解体場誘致は大きな利益をもたらすと判断、捕鯨会社による陳情を積極的に後押ししていた。
 それは、漁民たちを無視した強引なものであり、各漁業組合連合会や周辺の村々は硬く結束、大規模な反対運動へと発展し、6月の死骸打ち上げ事件は、更に漁民たちの結束力を強固なものとしていった。

 しかし、県はくじら解体場の設置を許可。

 設置に動いた東洋捕鯨は、恵比寿浜に解体場を建設、操業を開始した。
 瞬く間に、周辺海域は、鯨血に染まり、海面に鯨油が浮かび上がる。骨や臓物は、近隣の沿岸地まで、流れ着く有様で、沿岸部に生息するあわび、昆布などに被害が出始めた。
 鯨の処理方法にも問題があり、周辺は悪臭が立ち込める。
「このままでは、生活の糧となるイワシまでも消えてしまう。」
 当時、主力魚種のイワシの不漁が続き、その対策を考えていた漁民たち。
 くじらによる汚染はイワシ絶滅に繋がっていくのではないか。
 漁民は不安と焦りで緊張が高まっていく。

 10月、捕鯨操業期間は終了したが、東洋捕鯨は無断で操業を続け、県は黙認。
 漁民たちの怒りは一気に頂点に達した。
 10月31日。
 各地の首謀者たちは、湊川口そば、現在の館鼻公園に集まり、相談会を秘密裏に開催。一同襲撃で意見は一致。事前に襲撃方法を打ち合わせ、帰路に着く。
 明けて、11月1日、漁民たちは、行動を開始したのであった。

「ショックでした。私の家が襲撃の拠点になってたんです。」
白銀で生まれ育った、清水圭子さんは、数年前クジラ事件を調べていた。その際、清水庄吉という名前を見つける。清水さんにとって、三、四代前の実家当主となる。
 当時村議であり、白銀漁業組合二代目組合長も歴任した庄吉は、白銀の漁民をまとめた首謀者の一人。首謀者中、最高齢かぞえで66歳である。高齢にも関わらず、最前線に立ち、指揮をとっていた。清水さんが聞いた話では、三嶋下にあった清水家に、夜中から漁民たちが続々と集結してきたそうだ。

 襲撃行為は紛れもない厳罰であり、漁民たちが覚悟して集まったことからは、くじら解体場に対する憎悪の念が一気に達したと想像できる。

「私が生きていたら、多分泣いてたと思う。だれも話し聞いてくれないし、助けてもくれないし・・・。」
漁民たちの気持ちに思いをはせる清水さんの言葉である。

 事件発生から100年以上の月日は流れ、恵比寿浜には、当時の痕跡は見当たらない。解体場が存在した近隣には、八戸市水産科学館マリエントが建てられ、駐車場に、この事件の説明板が存在するのみである。地域の人々にも、事件の記憶は薄らいでいる。

 取材を行った2016年10月、八戸の湊では、近年にないマイワシの大漁が続いていた。

取材に応えてくれた方

清水圭子(しみずけいこ)/プロフィール

1985年生まれ。白銀生まれ白銀育ち。「soop!」の代表。20代~30代の白銀町在住のメンバーが中心となり、地域住民とともに環境美化や「キャンドルナイト」などを企画し、自分達の住む白銀地域の面白さを引き出す活動をしている。現在は三沢でMisawa Night Hoppersを務める。

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取材と文

長崎泰一(ながさきたいち)/プロフィール

45歳。株式会社テクノル、まちぐみ220号。山岳渓流で毛ばりを振り振り。魚市場の前でのんびりソイを釣ったり、真冬の氷上でワカザギを釣ったりする。


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