No.10

百姓たちの無血の戦い「稗(ひえ)三合一揆」

天保5年、飢饉続きと重税に苦しむ農民たちが一揆に。
藩への直訴に結集した農民は2万人を超えたといわれる。
二十一ケ条の要求を藩につきつけた彼らの運命は。

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滝尻侑貴
取材・文 松原新一

 天保5(1834)年、2万石の小藩八戸で、2万人を超える農民が決起した「稗三合一揆」が起こった。
 決死の百姓パワーが、八戸藩の家老野村軍記を失脚に追い込み、農民の処遇改善二十一ヶ条の要求の一部を認めさせた。この一揆は、八戸藩を震撼させる大規模な蜂起だったが、焼き打ち・打ち壊しなど暴挙に発展することもなく、奇跡的にも無血で、八日間という短期間で沈静化した。
 「稗三合一揆」の経緯を知りたくて、八戸市博物館の学芸員・滝尻侑貴氏に取材を申し込み、その詳細を伺った。

○百姓一揆が起こった時代背景
 八戸地方はヤマセが吹く冷涼な気候のため、凶作・飢饉が繰り返し起こっていた。数年おきに起こる冷害により疲弊しきっていた八戸藩に、天明3(1783)年、東北三大飢饉の一つ「天明の大飢饉」が追い討ちをかけた。飢饉の被害は石高(表高)2万石のうち1万9千石、死者・行方不明者は人口およそ6万3千人のうち3万人にも及び、藩に大打撃を与えた。
 文政2(1819)年、8代藩主南部信真(のぶまさ)公が、天明の飢饉の後、緊迫した藩財政を立て直すため野村軍記を責任者に、藩政改革に乗り出した。命を受けた野村軍記は、まず手始めに農民の年貢の徴収強化を打ち出した。続いて藩の商業・流通の改革として塩・大豆等特産物の専売制をとった。改革は功を奏し藩財政は徐々に持ち直してきたが、一方で重税・労役のため、農民の負担は年々大きくなり生活が苦しくなってきた。
 立ち直る間もなく、天保3(1833)年、八戸の四大飢饉の一つ天保の大飢饉「七年飢渇(けがじ)」が八戸藩を襲った。野村軍記はその対策として農民の1日の食事を稗三合と定め、残りはすべて強制的に買い上げる「稗囲い制」を打ち出した。握り飯は食うなとする施策に百姓は真っ向から反発した。

○農民の蜂起
 農民は野村軍記の「稗囲い制」など次々と打ち出す締め付けに反発し、自分達の命を守るため、天保5(1834)年正月8日、久慈大目川で一揆の狼煙を上げた。(稗三合が一揆の引き金になったことから、のちに「稗三合一揆」と称された。)翌9日、農民800人が決起し久慈代官に二十一ヶ条の要求(願書)を突きつけたが、全ては受け入れられなかった。
 農民は二十一ヶ条の要求(願書)で野村軍記の独善的な横暴を一つ一つ取り上げ批判し、罷免を要求した。家老自身や自分の身内だけの立身出世を優先し、忠義を盾に裏では金銀を貯え、一方では百姓から搾れるだけ搾り取る。さらに、稗囲い制、大豆・塩などの強制買上げ、数々の労役・重税などを列記し、その改善を要求している。
 代官に要求(願書)の全てを受け入れてもらえなかった農民は、藩に直訴するために大挙して八戸城下を目指した。
 一揆の農民は途中の村々で次第に膨れ上がり11日には鍛冶町に到着し、藩主へ直訴するため気勢を上げた。これに対し藩では、鉄砲衆を配置し警備にあたった。その後も近隣の村々から農民が結集し、その数は2万人を超えた。持久戦となっていた直訴も12日になって、領主への取り次ぎを約束、目付預かりとなりいったん落ち着いた。農民は藩から食料として米10俵を与えられ宿泊先に引き上げた。

○二十一ヶ条の要求に対する藩の回答
 農民の要求は藩内で評議され、その結果を15日の夕方になって発表した。農民の要求どおり家老野村軍記は免職となり、専売制の一部は自由化となり、農民の労役、重税の一部は見直された。
 農民への資金の貸付け、他藩からの米の買入れなど飢饉対策がとられ一揆は沈静化した。(古文書によれば、農民の二十一ヶ条の要求は十六カ条の要求として処理され、野村軍記の罷免以外は細部の記載がないため、農民の要求がどこまで見直されたのか不明である。)

○藩にあたえた影響
 この一揆で藩政改革は終わりを迎える。農民への規制も緩やかになり生活は一見楽になったように見えるが、実際は天保9年まで飢饉が続いた。類を見ない最大規模の飢饉となったが、野村軍記の財政改革で蓄えられた資金が役に立ち、奇跡的にも餓死者が数百人で収まった。(弘前藩では、8万2千人ほどの逃亡者・餓死者を出した。)
 皮肉なことに一揆が起こった天保5年は米が50年来の豊作となった。一揆があと半年遅れたら起こらずに済んだかもしれなかった。2万人を超す農民が蜂起した一揆なのに、首謀者は不明であり、2万人に対峙した鉄砲衆は一発も打つことはなかった。ただ、野村軍記だけは武術の免許・屋敷・財産すべてを没収され、数年後に病死した。



取材に応えてくれた方

滝尻侑貴(たきじりゆうき)/プロフィール
1986年生まれ。八戸に生まれる。駒澤大学・大学院で歴史を学んだ後、帰郷。八戸市史編纂室で『新編八戸市史』の編集などを経て、現在八戸市博物館学芸員。専門は北奥羽の中世史。

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取材と文

松原新一(まつばらしんいち)/プロフィール
69歳。はっちボランティアガイド。歴史が好きで、学生時代4年かけて日本一周史跡めぐりをした。退職後は地元の史跡をかけずり回り、地元のすばらしい史跡に驚く。知れば知るほど歴史っておもしろい。誰かに紹介せずにはいられない今日この頃。

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