No.52

「クジラの村」南郷

南氷洋の捕鯨船に乗った人たちが住む南郷村市野沢。
山の中にあったこの村と家族を支えるために、
歯を食いしばって耐えた、船上でのきびしい生活とは。

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山内幸治 壬生勝美
石屋正美 中村隆男
取材・文 橋本淳一

 八戸中心街から車で国道340号線を南下し、20分ほど走ると南郷市野沢(いちのさわ)に辿り着く。ここは、かつて「クジラの村」と呼ばれ、南氷洋の捕鯨に出漁した人達がいた。

「とっちゃ、いつ帰ってくるべ?」
「手紙さは、4月10日に横須賀さ着いて、荷揚げしてからだすけ、17日頃でねべがァ。」
「土産は、なんだべ。去年は、マッコウ鯨の歯で作ったペンギンだったども、今年は刀がほしいじゃ」
「そう簡単にいがねべ、歯は、抽選で一人ひとつだっつ、刀つくるハシポネ(顎骨)だば、そう簡単に貰えねべ。それさ刀、重いんでェ。んが、振れるど?」
南氷洋の捕鯨は、戦後食糧不足にあえぐ日本にとって、まさに干天の慈雨となった。持ち帰った鯨肉は、昭和22年(1947)は22000tで、牛13万頭分に相当した。さらに、ピークの昭和37年(1962)は、175000tにも及んだ。

「んが、手紙書いだが?」
「いや、何して?」
「はんかくせェ。船さ乗っていれば、月に一回、中積船で運んでくる手紙が楽しみだっつ。土産が欲しいば、手紙さ書くのせェ。」
「失敗(しっぺえ)したナ。」
「くっくく・・・」
「何ぁ、おがしいど?」
「とっちゃから聞いたども、母船の人でよ、あっぱ(嫁)からの手紙さキスマークが付いてあったず。それ横で見た人ァ、わもって手紙さ書いだっつども、返事が来(こ)ねうぢに日本さ着いでしまったっつ。」
家族からの手紙は、航海中の楽しみであった。また、日本への帰途、赤道を通過する頃には、家族のことばかり想い南氷洋での苦労を忘れた。

家族のための出稼ぎであったが、船上での作業は過酷であった。
「んが、とっちゃ寝ないで稼いでらって、知ってらが?」
「いや、知らなェ。」
「とっちゃはナ、8時間稼いで8時間休む。また8時間稼いで8時間休む。これをずーっと続けるっつ。日曜日は、無(ね)エっつよ。」
作業は、交替制で1日に16時間働くこともあり、きつかった。怪我をすれば休める、指一本ぐらいだったら、と考えてしまうこともあった。また、甲板では、合図の笛の音が聞こえなくなることから、作業中に耳全体を覆うことが禁止されていた。しかし、耳に凍傷を負う者が出て、軍手を解(ほぐ)し耳の上半分だけを覆うことが黙認されていた。

「船で一番切(へつ)ね(辛い)ことは、葬式だっつ。」
「船で死ぬ人いるべもなァ。」
「そりゃァ、心臓ァ急に止まったり、あだる(脳卒中)人もいるべ。死ねばよ、棺桶さ鉄の錘(おも)りを入れて、ロープで吊上げ海の上でブッツと切るっつ。その時が何とも言えなく沈んだ気持ちになるっつ。棺桶ァ、海さジャボッと落ちてゆっくり沈んで行くっつ。「わを置いでいがねでけろー」て聞こえてくるようだっつ。母船はその周りを、ボーって汽笛を鳴らしながら3回まわるんだっつ。」
「かわいそうだナー。」
「死んだ人もかわいそうだども、残された家(え)の人も切(へつ)ねべな。船の仲間んどァ、仏拝みに行ったっつども、あっぱァ、「ホントだば、とっちゃも一緒に戻ってくるはずだった。」と喋ったきり、おいおいど泣くんだっつ。びっきんど(小さい子供)、なんも知らねえで遊んでいるんだっつ。罪作りだナ。」
航海中に亡くなると、水葬された。遺髪や爪を入れた骨箱は、航海中、母船の祭壇に安置され帰国後、遺品とともに家族へ引き渡された。

「あ~あ、あのびったんどァ(女の子達)、隠れんコ(かくれんぼ)してら。」
「んがんど、あっちゃ行って遊べ。この桜の樹ァ、とっちゃんどァ植えんでェ。折ったら、ただでおがねすけナ。」
南郷事務所から軽米町方面へ 800mほど行くと、「大洋公園前」のバス停がある。そこを右に入り、すぐを左へ進むと、ほどなく公園が見える。
この公園は、南氷洋の捕鯨船で働いた人たちが、昭和34年(1959年)に造り、皇太子殿下のご成婚を記念し、桜を植樹した。
老木の梢を仰ぐと、「今年も元気に咲くよ。」って聞こえたような気がした。桜と共に、家族と村を支えた捕鯨について末長く語り継がれてほしい。



取材に応えてくれた方

山内幸治(さんないこうじ)/プロフィール
文章1931年生まれ。昭和23年より45年まで南氷洋、北洋漁業に従事。船内の大工として、船内や道具など様々なものを修理する業務を行った。その後も南郷で大工を生業とし、住宅など様々な建築を手がけた。現在は夫婦二人暮らしで、温泉巡りを趣味に南郷暮らしを楽しんでいる。

壬生勝美(みぶかつみ)/プロフィール
1935年生まれ。18歳から51歳まで、南氷洋での捕鯨、北洋でのサケマス漁に従事し、一年のほとんどを海洋で過ごす。鯨の解体加工設備を有する母船での作業のほか、冷凍船での作業、急速冷凍伍長など捕鯨船団でも様々な業務を経験した。

石屋正美(いしやまさみ)/プロフィール
1935年生まれ。中沢村(現在の八戸市南郷中沢地区)生まれ。中野小、中沢中と進む。昭和28年より捕鯨に従事し、塩蔵船、冷凍船で作業を行う。その後、しいたけ栽培などに取り組み、現在は、米、ほうれん草、にんにく等を育てる日々を送る。一男一女、孫三人に恵まれ、長女と暮らす日々である。

中村隆男(なかむらたかお)/プロフィール
1948年生まれ。八戸市(当時、南郷村市野沢)生まれ。名久井農業高校中沢分校を卒業し、ベーリング海など北洋漁業に10年間従事する。27歳で船を降り、以後、南郷で食堂を経営する。現在も地元で人気のいろり亭を後継者とともに営業し、店休日は川釣りを楽しんでいる。

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取材と文

橋本淳一(はしもとじゅんいち)/プロフィール
58歳。様々な講演を聞くこと。そして、そこで得た知識をあちこちでしゃべくり回ること。座右の銘は、「口は詐欺師で、心は弁護士」です。

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