No.84

機関車との味なつきあい

八戸線、東北本線を走った歴代の機関車があった。
難所を越え、貨物を積み、レールを覆う葉っぱと闘う。
運転席に立ち続けた、ひとりの機関士のお話。

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佐々木義夫
取材・文 慶長洋子

 佐々木義夫さんは盛岡の高校を卒業後、国鉄の宮古機関区に就職し、3年後に機関士助手として八戸機関区に異動になった。その後機関士になり35年間八戸機関区で勤め上げた。今回は国鉄の頃のことや、機関士の仕事についてお話を伺った。
 50年位前は、八戸駅周辺には国鉄官舎や独身寮がたくさんあった。また物資部という売店や床屋や大衆浴場もあり、仕事終わりに皆がよく行く飲み屋もあった。この辺一帯は生活に必要なものがすべて揃うようになっていて、鉄道関係者が住む町として栄え、社宅だけの町内もあるほどだった。だから、官舎に入れる人はうらやましがられていた。もう一つ、八戸駅は交通の要であり、汽車で通う子どもや大人も多く、大変賑やかであった。
 当時、三条尋常高等小学校が三条大学と呼ばれていて、一学年3クラスあってレベルが高かったと佐々木さんは語る。ここを卒業すれば国鉄に入る可能性がぐっと高くなると言われていて、それを目指して二戸、三戸、七戸、久慈など、遠くの方からも入学していたからだ。当時は、三条小学校の児童の半数が国鉄関係者の子どもだったのである。
 佐々木さんが機関士になった頃、八戸線はSL機関車だったので、風向きが悪いと、客席の方まで真っ黒い煙や、火の粉が残った煙が出て熱かった。また、沿線の辺りで事故や火事などの非常事態が起こると、機関士は「パーパパパー」と長く警笛を鳴らして、周囲に知らせながら走ることに決まっていたのだと教えてくれた。当時はこどもたちも「SL機関車の汽笛がたくさん鳴ったら、気をつけろ」と言われていたそうだ。
 佐々木さんが勤め始めた頃は、八戸線はSL機関車が走っていた。それが東北本線でディーゼル機関車に替わり、そして電気機関車に替わっていった。車に例えると、SL機関車はマニュアル車で、ディーゼル・電気機関車はオートマチック車だと言われていると、分かりやすく説明してくれた。
 佐々木さんが運転していて一番怖かったのは「木の葉っぱ」だという。当時、汽車の社内案内では「車輪が葉っぱでスリップし、遅れています」
という案内がされることがあった。秋の霜が降りた頃、木の葉っぱが線路に落ちて、車輪が空転する。雪はブレーキの熱で溶けるのでたいしたことはないが、木の葉っぱは線路に張り付くので車輪が空転するという。11月から2月までが一番怖く、車輪が空転すると、機械で砂をまいて摩擦を起こして登る。ところが砂の粒が皆同じではないので、詰まることがあり、さらに大変だったという。汽車がこれ以上登れないなあと思ったときには無線で連絡をして、一回下りてまた登る。黙って戻ると踏み切りや信号が狂ってしまうので、勝手にやることは許されなかった。当然だが安全が最優先だったと話す。
 また、八戸線の名物は機関車がバックで走ることだった。鮫までは普通に走り、鮫から戻るときに鮫駅に転車台(方向転換するための台)がないので、そのままバックで八戸駅まで走ってきていた。行きは60km/hで、帰りはバックなので45km/hしか出せなかったという。
 佐々木さんが運転するのは、八戸線と東北本線の八戸から青森まで、そして八戸から盛岡までだった。他に貨物線と、三沢基地までの貨物があり、それらがシフトで組まれていた。それぞれに難所があり、八戸線では侍浜と八木が一番の難所だった。東北本線では、浅虫から小湊あたりと、野辺地から千曳の勾配もきつく、また中山峠も大変だったという。中山峠では1000tの貨物列車を3重連で運転し、3人の各機関士は速度・時刻を見て出力の調整をし、協力し合いながら山越えをした。
 昔は踏み切りに必ず「踏み切り警手」がいて人力で、旗を降ろしていた。本線は汽車が優先だったが、三沢の基地までの貨物は、車が来たり踏切がカンカン鳴っていると、汽車の方が止まらなければならなかった。基地に入るときの検査はなかったが、倉庫が空かないと荷物を降ろすことができず、先に倉庫を空けて、それから全部荷物を降ろすまでは帰れなかった。基地の中には銃を持った米兵がたくさんいて、最初の頃は鉄砲で撃たれるのではないかといつも怖かったという。
 機関車のシリンダーに入る蒸気圧はメーター値の20%が丁度いいと言われていたが、30%にあげてがんがんあおって走る機関士もいた。運転が荒く、蒸気が煙突から出てくる人もいたという。機関士と機関士助手は二人セットで運転していたので、機関車にはそれぞれの性格が表れて、人間味があると話す。それぞれの機関車の癖と、機関士それぞれの性格がでるからおもしろく、味もでるという。
 いろいろ大変なこともたくさんあったが、機関士の仕事、汽車を運転することは楽しくて、好きだったと優しい笑顔で話してくれた。



取材に応えてくれた方

佐々木義夫(ささきよしお)/プロフィール
1939年生まれ。盛岡市で生まれ育つ。18歳の頃、国鉄の宮古機関区に勤め、整備を担当する。その後八戸機関区に異動し、機関助士を経て、それから約35年機関士を務める、蒸気機関車、電気、ディーゼルの列車を運転。趣味は囲碁と盆栽。

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取材と文

慶長洋子(けいちょうようこ)/プロフィール
61歳。八戸市の委託で出前消費者講座を行っている。町内会、老人クラブ、ホットサロンなどの集まりにお邪魔し、多くの皆さんとの出会いを楽しみにしている。いつまでも新しいことにチャレンジできる自分でいたい。

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