No.87
沼田さんのお祭り人生!
子どもの頃から、自他認めるお祭り男。
山車づくり、お囃子、門付け、そのすべてに血が騒ぐ。
一年のクライマックスはもちろん八戸三社大祭!
沼田昌敏
取材・文 佐々木結子
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「・・・山車がね、できるでしょ。で、大太鼓付けて。小太鼓付けて。で、前夜祭に向かって小屋を出て行く時に、笛のアタマがピーッて鳴って、大太鼓がドン。と、山車が身震いするみたいに、山車に付いてる人形とかなんとかがワサワサワサ~ッてなる瞬間が、まさに山車に魂が入ったって感じで、タマンナイんです。」
八戸観光コンベンション協会の沼田昌敏事務局長は、お祭りのハナシになると身振り手振りもついて止まりません。お祭りが好き過ぎて、お祭りに関われる仕事を選んで今の職場に入ったくらいですから、筋金入りです。
沼田さんは元々は六日町の山車組の人。山車を出しているご町内の人のお約束通り、小さい頃から山車を作っているところを見て育ち、紙張りの手伝いからスタート。囃子も、最初は小太鼓から入って大太鼓、笛へとすすみ、やがて門付けして音頭も揚げて歩いたという生粋のお祭り人(じん)。仙台の大学に進学しても、夏休みにはお祭りにカダルためにバイクで7時間掛けて帰省。お祭りが終わると、バイトするために戻っていくというのが学生時代の思い出。やがて、地元情報誌の記者兼営業として働き始めたものの、更にお祭りに関わるために観光協会(※現観光コンベンション協会の前身)の採用試験を受け、見事合格して現在に至っているのです。
沼田さんがこれほど惹かれるお祭りの魅力って何ですか?という問いには、
「皆そうだと思うけど、小さいうちはお祭り本番に山車を曳いて歩くのも、山車の上で小太鼓叩いてるのも、そして沿道のお客さんの視線が集中するのも全部嬉しいんです。まさに晴舞台。大人になると、山車を作るようになって。そうすると、自分が手をかけた部分が山車に付いてるのを見るのがいいんです。山車作りも、携わっていくうちに任される・頼られる部分がでてくるんです。そうなると、山車がまるで自分の作品として世の中にでていくような、そんな達成感みたいなものを感じるというか。果ては自分がいないと山車小屋が成り立たないんじゃないかってまで思う使命感というか。それはもう、町内の、山車組の名前を背負ってる気分ですよね。」
もう、お祭りの話しは止まりません。
「半分以上の山車組は、賞に対して貪欲。最優秀賞とか優秀賞の「旗」じゃなくても敢闘賞でもなんでも、なにかの賞をとることが嬉しいんだと思います。ともかく自分達が作り上げたものが、第三者から認められる部分ですから。山車の審査は、点数の付け方も結果発表・表彰式も、去年の夏から大きくスタイルを変えました。青年会議所が8月2日から市庁前広場で開催する「おまつり広場」のステージで、大勢の市民の前で発表する形になりました。それまでは、審査員達が前夜祭とお通り行列を見て審査して、お通りが終わったその夜、市役所の会議室に山車組だけを集めた非公開の表彰式でした。その場面の一種独特な雰囲気というか、山車組連中のギラギラした感じというか、普通の市民があの場にいたら逃げ出したくなったと思いますよ。昔、ミス菊の花に審査員をやってもらった時代もあって、ミス菊の花にもその発表の場に参加してもらっていたんですが、山車組の連中の目つきとか雰囲気があまりに凄くて、途中で唇が紫になって倒れそうに・・・なんていうこともあって、可哀想なことをしました。でも、去年は市民が見ているオープンな中での発表になって、山車組連中もそんな怖い顔をしなくなったし、良かったんじゃないかなと思います。審査方法も、9人の審査員に加えて、どの山車組からも1人加わってもらって36人で採点するようになったんで、山車組も山車を解っている作り手側の人たちがつけた点数だと納得してくれてたみたいです。」
平成2年に観光協会に就職してから27年間、三社大祭を「本部」の椅子から見続けてきた沼田さんは、「一つの山車組に入って、山車作って、ひっぱって参加するのとは違った形ですが、コレも三社大祭の大きな仕組みの中の一部に参加しているのだから私は満足です。」と語ります。そんな沼田さんが、今のお仕事を定年退職したらどうするのでしょう?「その時は、山車小屋に行けたらいいですね。」ですって。沼田さんの人生は、お祭り中心なのです!
取材に応えてくれた方
沼田昌敏(ぬまたまさとし)/プロフィール
1964年、八戸市六日町生まれ。よみうり通信社(現・ふるさと通信)を経て、平成2年に当時の八戸観光協会に入社。現在の観光コンベンション協会は八戸三社大祭運営委員会、八戸地方えんぶり保存振興会、はちのへ山車振興会など八戸二大祭事の事務局を担っており、祭り運営等に携わっている。これからの命題は、少子高齢社会に対応した「祭事の継続」。
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取材と文
佐々木結子(ささきゆうこ)/プロフィール
1965年、八戸市上組町で生まれ育つ。1984年、八戸市庁入庁。八戸三社大祭の頃が近づくと、向かいの山車小屋から太鼓の練習の音が聞こえ、祭りが始まれば、お通り行列が家の前を通るという絶好のロケーションで生まれ育つが、上組町の山車にカダッたことはない。小学生の頃などは、家業の店屋を手伝ってジュースやアイスクリームを売りながらお通り行列を見て、最後尾のパトカーが来たところで吹上へ走り、もう一回お通り行列を見物していた。2015年から2017年3月まで、お祭りの行列が目の前を通る八戸ポータルミュージアム はっち館長。