No.64
オオムラサキが飛んでくる庭
日本でイエス・キリストが滞在した伝説の神社の取材時に、
飛んできた『神の使い』と呼ばれる国蝶の『オオムラサキ』・・・。
下長に伝わる伝説は、住人たちの心にロマンをはぐくむ。
池田光則
取材・文 中村邦英
「オオムラサキが飛んでくる庭|八戸88ストーリーズ」をシェア
下長地区に住んでいる池田光則さん宅を訪れた当初の目的は、「貝鞍神社」にまつわる興味深い伝説について、地域の歴史や文化に詳しいお立場から意見を伺うためであったが、説明を聞いた池田さんは、少し首をひねりながら腑に落ちない様子であった。
下長地区について調べているのはわかったが、なぜ貝鞍神社なのか?十和田湖の主となった八ノ太郎伝説や義経北行伝説などが伝わる蓮沼神社の方が興味深いのでは、と池田さんに切り出され、「『イエス・キリストが日本に辿り着いて、二ヶ月も滞在した神社』という衝撃的な、ある意味荒唐無稽とも思える内容に惹かれました。」と素直に白状すると、興味半分で聞いたことに気分を害されたかと思いきや、池田さんの目の輝きは一段と増した。全く予想外の反応であった。
「この地域に伝わる伝説について興味を持っていただいたことが嬉しいです。事の真偽よりも、どのような歴史的背景でそのような伝説が生まれたのかということは、当時の地域の文化を知る上での貴重な資源になりますし、今後も地域の人に語り継がれていくためにはどうすれば良いのかを考えることにもつながります。」と池田さんは語った。
池田さんは長年、下長地域の魅力を伝える活動に尽力してこられた。とりわけ、地域の歴史ある建物や遺跡、石碑などを地域の人々が家族や友人とともに散策することを通して、自分たちの地域の歴史・文化の魅力に触れ、理解を深めて欲しいと考え、平成14年から平成16年にかけて「下長地域歴史ガイドブック」を2編、編さんされた。
地域の住民が、郷土の歴史を世代間で楽しく語り合いながら気軽に学び、継承することで、住みたくなるまちづくりにつなげて欲しいといつも考えている池田さんは、私の下世話な関心をも歓迎してくださった。大らかなそのたたずまいに、思わず引きつけられた。
「この辺りは下長だけど、あっちは八戸市の中心部から離れているのに『上長』って、おかしいと思いませんか。実はこれ、当時五戸にあった代官所を中心に付けられた地名だから、五戸寄りの方が『上』なんですよ。」
「ほら、ここから見えるあの大木、あれは榎の木で、国蝶の『オオムラサキ』は榎の木の葉しか食べないんです。オオムラサキは『神の使い』とも言われているので、あの榎の大木は『神が宿る木』と言われているんです。」
「この辺りの地名って、ほんと面白いんですよ。『内舟渡(ないみなと)』はもともと交易船の船着場として栄えたところからついた地名だし、悪虫(あくむし)という地名は、当時その地域が足元の悪い湿地帯であったところから付けられたらしいです。面白いでしょ。」
次から次と興味深い話を語ってくださった池田さんに、あえて「地域に対して不満に思うこと」を伺ってみた。すると、少し表情が曇った。
「この地域の方々の中には、どれだけ豊かな歴史、文化の下で生活しているか、その価値を理解しておられない方がまだまだ多い。自分は外から来た人間だから、この土地の豊かさがよくわかります。『人が住めば、そこに祠ができる』と言われます。その昔、八戸城下から奥州街道五戸宿へ至る、南部藩の『五戸街道』は下長地域に位置しており、街道沿いに点在する多くの石碑、祠が当時の賑わいを物語っています。でも、その価値が分からない人にとっては、ただの石でしかないんですよね。」と寂しげに語る池田さんに、私は返す言葉がない。
「その土地に根付く文化を壊していく地域の未来は暗いです。こう申し上げると語弊があるかもしれませんが、住む土地の成り立ちに興味を持てるかどうかが、その地域の『民度』を表している、と私は思います。これからは『五戸街道』の文章をとりまとめることで、多くの方にこの地域の魅力を知ってもらいたいんです。」と語る池田さんの言葉に、私は「地域に興味を持つこと」の核心に触れた思いがした。
手荷物をまとめ、池田さんの部屋を出ようとした際、ふと庭の生け垣に目がとまった。一部分だけ樹種が違う。尋ねると池田さんは、少し恥ずかしそうに答えた。
「随分前に植えたんですよ、榎の木。車の迷惑にはならないように刈り込んでますからご心配なく。それでね、この間とまってたんですよ、オオムラサキが。」
取材に応えてくれた方
池田光則(いけだ みつのり)/プロフィール
1943年生まれ。元下長公民館館長。下長地区の文化・歴史に精通しており、しもなが安全・安心ネットワーク事務局長、がんじゃ里山の会代表、協働のまちづくり推進条例検討委員会委員などを歴任。現在は「五戸街道」の魅力を伝えようと執筆に向け準備中。
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取材と文
中村邦英(なかむら くにひで)/プロフィール
45歳。3児の父。カレーとつけ麺に目がない。高校3年生の時に車に轢かれた経験があり、養子縁組で姓名も変わったため、小中学校時代の同級生に会うと、生きていることを驚かれることがある。