No.5

『国宝合掌土偶』誕生の裏で

合掌土偶はいかにして国宝となり得たのか。
発見時に喜びよりも、大変なことになる!と身震いした人間が
心身を擦りへらしつつ臨んだ国宝誕生までの長い長い道のり。

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村木淳
取材・文 佐々木彩子

 平成元年7月初め、50メートル程離れた場所で発掘調査をしていた村木さんは、風張1遺跡西側住居跡の調査をしていた職員から突然呼ばれた。駆け付けてみると、竪穴式住居の壁際に手を合わせた土偶が横たわっていた。左脚が無かったが、少し離れた場所で見つかった。完全な形の土偶である。実際に発掘作業をしていた人たちは喜んでいたが、職員は青ざめていた。村木さんも、大変な物が出てきてしまった、きっとこれは今後大事になる、と考え、発見の喜びや驚きよりも心配の気持ちが先に立っていた。その予感は現実のものとなり、この遺跡から出土した土偶を含めた遺跡の重要文化財指定や国宝指定に携わることになっていった。
 土偶は、高さ19.8センチメートル。座った状態で両側の膝を立て、手を正面に合わせ、肘を膝につけている。その姿勢から合掌土偶と呼ばれることになった。合掌土偶は色々な下調べを経て、出土してから2ヶ月後、ようやく報道機関に発表されて、一躍有名になった。
 村木さんたちは文化庁の調査官を手伝って、写真撮影や台帳の作成を行い、昭和37年に是川遺跡の出土品633点が指定されて以来、風張1遺跡出土品666点という膨大な数の遺跡が重要文化財に指定されることになった。平成9年のことである。
 平成19年、合掌土偶を含めた土偶と土器の保存修理を京都の業者で行うことになった。従来、職員は確認点検のために、搬送業者とは別行動を取って作業場に向かうのだが、今回は誰もまだ知らない、将来国宝になるものに対して何かがあってはいけない、ということで美術品専用車に同乗して京都に向かうことになった。合掌土偶との旅の始まりである。午後から梱包作業を行い、出発は午後5時頃になった。夜通し走り続け、京都に着いたのは翌日の昼0時30分、19時間30分トイレ以外車に乗りっぱなしだった。途中、2時間おきに休憩を取り、その都度荷台を開けて土偶の無事を確認した。一睡もできなかった。修理が終わって帰るときも、美術品専用車に同乗し、付きっ切りで離れることができなかった。国宝の重みをひしひしと感じた旅だった。
 報告書の作成は、博物館の作業室を間借りして行った。平成20年4月から12月までの9ヶ月間、土日も休まず、家庭も顧みず働いていたので、博物館の職員からは独身者と間違えられるほどだった。完成した報告書は、400ページのものになった。そして、平成21年、国宝合掌土偶が誕生した。
 青森県で3件目、昭和28年に櫛引八幡宮の鎧兜2件が国宝に指定されて以来、56年ぶりのことだった。青森県の国宝3件が全て八戸市にあるというのは市民の誇りになっている。
 村木さんはこの春、定年を迎えるが、まだまだ発掘現場で若い人たちを指導してくださることと思う。そんな村木さんの車のナンバーはずっと892(はっくつ)。学生時代からこだわりのまん丸の眼鏡をかけて、今日も現場に向かっている。

取材に応えてくれた方

村木淳(むらきあつし)/プロフィール

1957年生まれ。発掘歴40年。長七谷地遺跡群(約7,500年前)、史跡根城跡(中世)、史跡丹後平古墳(古代)、風張(1)遺跡(約3,500年前)、是川遺跡(約5,500~2,000年前)など市内の数多くの遺跡を調査。過去の伝統や文化を継承し、現在の私たちが成り立っている。発掘調査により、少しずつですが八戸の歴史の一端を紐解くことができる。

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取材と文

佐々木彩子(ささきさいこ)/プロフィール

昭和25年1月生まれ。海上自衛隊八戸航空基地で防衛事務官として勤務。退職後、はっちの開館時からボランティアガイドとなる。現在、さんぽマイスターデビューに向けて特訓中。


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