No.6

子どもたちに育てられた私

だれにでも初めての時があり、それは記憶に鮮やかに残る。
その教師も、初めは子どもたちや親たちに育てられた。
初めて迎える閉園式、
これまでの感謝の思いは慈愛にあふれる笑顔になった。

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天摩直美
取材・文 佐藤梨香

「『8』って私の中でとても大事にしている数字なんです」
 そう言葉を始めたのは、昭和38年8月8日生まれだというファチマ幼稚園の天摩直美園長。勿論、八戸市出身だ。「8」という数字に縁がある。もう一つ言うと、天摩園長のご両親は、「八重子」という名前も候補に挙げていたという。
 鮫町の高台にあるファチマ幼稚園。天気が良い日は、太陽の光に輝く海が園舎の窓から覗く。園庭を駆け回る子どもたち。園内に響く可愛らしい歌声。優しいピアノの音色。こんな穏やかな風景も、次の春を迎える頃には、もうこの場所では見られない――。
 というのも、2017年3月で65年の歴史にピリオドを打つことが決定しているからだ。市内で4番目に古い幼稚園にも、少子化の波が押し寄せた。その知らせに涙する保護者もいた。年配者にも同園の卒園生が多く、町の人の惜しむ声が今も寄せられている。天摩園長自身もファチマ幼稚園の出身で、同園に勤務して32年。65年という歴史の内、その約半分の時間を同園と共に過ごし、八戸の幼児教育に多くを貢献してきた。
 私が閉園の知らせを受けたのは、2015年春。
「同じカトリック系列の他園では、うちと同じくらいの人数でやっているところもあるのに。どうして、うちだけ・・・・・・」
溢れそうになる涙をグッとこらえながら、経緯を話してくれた。悔しさ、理不尽さ、園児たちとの無数の思い出。そしてファチマ幼稚園への愛情。それらを集約した涙だった。

「神様が与えてくれた試練なのかなと思っています」
それから1年半が経ち、天摩園長は静かに運命を受け止めていた。「最後は、あなたがきちんと閉めなさいよ」と伝言を受けたような、そんな気持ちだという。どうにか閉園を免れられないのかという複雑な思いを乗り越え、現実としっかりと向き合う姿勢が整っていた。自らも育った幼稚園で園長という大役を務めることとなったのは、閉園前の最後の2年間。「恩返しのつもりで務めたい」と今は穏やかな表情を見せている。
 教育の現場では、「試練」と「成長」が交互にやってくる。保育士にとっても、園児にとっても。
 今では凛とした表情が板についている天摩園長。その一方で、言葉一つ一つが柔らかく、聞いているこちらも穏やかな心持ちになる面を持ち合わせている。当然、そんな園長にも新米時代が存在する。
 ファチマ幼稚園に勤務して1年目のことを、「子供たちから教わった1年」と天摩園長は言う。「当時受け持っていたクラスの年長の子どもたちが、非常に頼もしい存在だったんですよ」と教えてくれた。
 カトリックとモンテッソーリ(自立心、責任感、他者への思いやりを育む教育)から成る2本の教育柱の下では、朝のお祈りから一日が始まる。登園すると、園児たちは自分でスモックに着替え、制服をハンガーにかける。年長児は個別に年少児の世話をしているので、自分が担当している子の面倒を見る。そうして、「朝のお仕事」と呼ばれる作業に取り掛かる。縫い物をする子、色水を作る子、日本地図のパズルをする子。それぞれが自主選択した「お仕事」に集中する時間があり、それらを丁寧にこなしていく。そうした教育の中で培われた集中力や自主性が、ファチマ幼稚園の子どもたちを「頼もしく」していくのだ。
 まだ赴任して間もない頃は特に、子どもたちの方が一日の流れをよく把握していた。若き「天摩先生」がまだ次の行動に移らずにあたふたとしていると、
「先生、そろそろお祈りの時間じゃない?」
「隣の教室からピアノの音が聞こえてきたよ。そろそろお歌の時間なんじゃない? 先生もピアノ弾かなきゃね」
などと言って、子どもたちが一日の保育の流れをサポートしてくれたという。当時の子どもたちはとても大人っぽく、身のまわりのこと、自分のことはきちんと自分で出来たし、年下の子の世話もよくしたそうだ。年少の子がトイレで洋服を汚してしまえば、着替えさえてくれていることもあった。本当は自分が目を配って見ていなければならないことも、園児の方がよく気が付いて動いてくれた。そんなしっかりとした子ばかりで、「とにかく子どもたちには助けられましたね」と天摩園長は懐かしげに、そして誇らしげに話す。当時の子どもたちは天摩園長の目に一際頼もしく映り、今でも鮮明な記憶として残っているのだ。
 また、30年前当時の保護者に助けられたこともあった。
遠足に出かけたある日のこと。いざ、子どもたちを整列させようかという時の出来事だ。当時は人数も多く、子どもたちをひとまとめにすることさえも一苦労で、なかなか並ばせられずにいた。遠足という開放的な時間。自由にはしゃぎ回ったり、お喋りに夢中になったり、さすがの子どもたちもいつもの集中力から解き放たれていた。そうした園児たちの気持ちを引き付けるのは簡単ではない。「天摩先生」が四苦八苦していると、それを見兼ねたある保護者が前に出てきた。
「はーい!子どもたちはグーのところに、お母さんたちはパーのところに並びましょう!」
と言いながら、それぞれグーとパーの形にして両手を挙げた。すると、子どもたちは耳を傾けて並び始め、彼等をいとも簡単に整列させてしまったのだ。聞けば、その保護者は保育士だったという。
「先生、しっかりしてくださいね」
その保護者からそう言われ、自分の力のなさ、不甲斐なさを実感した。整列させるだけのことなのに、それが出来ない情けなさ。天摩園長は、恥ずかし気に振り返った。子どもたちの注意の引き付け方も工夫次第。未熟だった日の記憶も、今となっては保育士として成長してきた日々の証だ。

「互いに育っていく場所かな、と思っています」
 ファチマ幼稚園は、天摩園長にとってそういう場所だという。
「やっぱり、私はどうしても保育の仕事がしたい」
その強い想いから短大(保育科)卒業後に就いていた仕事を数か月で辞め、幼児教育の世界に身を置いてから32年。園児との関わり方、職員との関わり方。「上に立つ者」というしっかりとした印象の天摩園長しか私は見たことがなかったが、本当に子どもたちが好きで、子どもたちと共に成長していくのだ、という精神が滲み出ていた。
 だからこそ特に今年は、「65年の歴史にピリオドを打つ」という試練を乗り越えようと努めてきた。関わってきた多くの人達への感謝の気持ちと共に。
 「閉園式」を執り行うのも最初で最後のこと。周囲にも、幼稚園を「閉めた」ことのある経験者はそういない。どうしたらよいのか。重苦しくなく、堅苦しくなく。天摩園長は「最後はファチマらしく終わりたい」と、保育の傍ら、閉園式の準備に追われる日々を過ごした。式を執り行うホテルとの打ち合わせ、案内状の発送、ゲストにプレゼントする記念DVDの制作。
これらの作業一つ一つも、「神様が与えてくれた試練」と向き合うことだった。

 閉園式は、2017年2月18日に行われた。最後まで「8」に縁がある。
私も司会として出席させて貰った。涙、涙の閉園式・・・かと想像していたが、意外にも、笑顔溢れる式だったように思う。感謝の笑顔、安堵の笑顔。寂しさは内に秘めていたのだろうが、その笑顔が、天摩先生自身と、ファチマ幼稚園に関わった全ての人々の末広がりの未来を作っていく。

取材に応えてくれた方

天摩直美(てんまなおみ)/プロフィール

ファチマ幼稚園最後の園長。現在はイメルダ幼稚園に勤務。8月8日生まれで8はラッキーナンバー。市制88周年という8にまつわる取材を受けることができ、嬉しく思っています。

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取材と文

佐藤梨香(さとうりか)/プロフィール

1983年10月12日、八戸市生まれ。スポーツライターとして県内の様々なスポーツを取材、執筆。デーリー東北の市民記者も務め、身近なニュースの取材も行う。「取材対象者の通訳となる!」のがモットー。趣味はサッカー観戦でヴァンラーレ八戸を応援。また、2015年にはPUMA公式アンバサダーに就任、PUMA Girlsとしても活動。同年、ホノルルマラソンにて人生初のフルマラソンを完走した。


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