No.48
「鬼の千」が紡いだハーモニー
合唱部を全国大会へと導いた「鬼」と呼ばれた先生。
聴く人の心に響く歌のために、妥協することなく、
最高の演奏を求め続けた、生徒たちとの23年間のハーモニー。
伊藤千蔵
取材・文 上野幸
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八戸市はかつて「合唱のまち」と呼ばれていた時代がある。市内の小・中・高の合唱部が全国大会で次々と上位入賞を果たした時期があり、今も合唱界において「八戸市」の地名は広く知れ渡る。その素晴らしい数々の功績の陰に、幾人もの指導者たちがいたことを忘れてはならない。
八戸市糠塚に住む伊藤千蔵さんも、高校音楽教諭の傍ら長く合唱部指導に携わってきた一人だ。中でも23年間勤務した青森県立八戸東高等学校では、音楽部(合唱部)を全国大会に15回導き、金賞5回、銀賞4回、銅賞6回という成績を残すなど、その名を全国区にとどろかせてきた。また、市内の合唱・コーラス団の活性化と発展を目的に、発起人の一人となり八戸市合唱連盟をつくった他、小・中学校の音楽教諭と合唱指導について勉強する機会を定例化させるなど、市内の合唱レベルを確実に引き上げ盛り上げてきた。
そんな伊藤さんの、合唱指導人生の中での大きな転機は30歳の時、青森県立八戸東高等学校への転任だった。以前の赴任先でも合唱部を指導してきたことがあったが、同校の音楽部は、前顧問の先生が38年間指導しすでに全国大会出場を重ねていた学校だった。また部員のレベルも極めて高く感性も豊かだった。そんな土壌と環境の整った部活動を引き継ぐことになった伊藤さんは、自然と合唱音楽の深みへとはまっていった。
顧問就任して間もない頃、部員との信頼関係を結べないまま臨んだ合宿先で、夕食時間になっても部員がわざと呼びに来ないなど、自分を受け入れてもらえないこともあったという。そのプレッシャーを押しのけ、指導に打ち込むうちに、めきめきと吸収してくれる部員たちに手ごたえと面白みを感じた。同時に部員との距離も縮まっていき、前任者から音楽部を引き継いでから8年目、伊藤さんの率いる新生音楽部はみごと全国大会出場への復活を果たした。
自分の中で最高と思い描く演奏を極限まで追い求め、楽譜に忠実に向き合い、一音、一フレーズ、一切妥協をせず何度となく繰り返し歌い直させる伊藤さんの指導スタイル。しかし、部員にコツやテクニックがうまく伝わらない悔しさ、苛立ちから、当時、毎日のように部員を怒鳴り罵声を浴びせた、楽譜を投げつける、キーボードを激しく叩く、ドアを激しく叩き閉める等、音楽を突き詰めるがゆえの厳しさの数々は、歴代部員の語り草になっている。身体の中にほとばしる情熱が表現に追いつかず、怒りの力で指導する伊藤さんのことを、いつしか部員たちは「鬼の千」という異名で呼んでいた。すべては人の心に響く演奏のためだった。「当時は色々辛くあたって申し訳なかった」と過去の自分を顧みて反省の言葉をくりかえす伊藤さんだが、お金で決して買うことはできない"経験"を部員たちにプレゼントをしてあげられたことを、ささやかな救いにしている。
「一つの目標に向かい乗り越えた厳しい日々は、必ず、今後の人生の上で自分を支えてくれるものであるはず。大舞台で歌った自分をずっと誇りにして生きて欲しい」
伊藤さんは、そんな言葉を歴代部員たちに捧げ社会に送り出してきた。
前顧問の先生から音楽部を託された時から、伊藤さんは目には見えないたくさんの荷物を託されたのかもしれない。全国大会出場校という看板を背負った責任、偉大な先達の後で継ぐ重圧、信頼、願い、期待...もろもろが込められたバトンだったろう。それらの荷物の重さを分かち合い、それらに応じる十分な感性を持った仲間(部員)がいたからこそ、伊藤さんは常に先頭に立ち、長年攻め続けられたのだと思った。当時を振り返るとき、部員のことを「戦友」と伊藤さんが表現する意味を理解できた気がする。気力と精力を惜しみなく注ぎ、ときには身を削る思いで伊藤さんが繋いだ東高校音楽部の伝統のバトンは、今、しっかりと後世へと受け継がれ、市内高校で唯一の合唱部として存在感を放ち続けている。
4人いる子ども達の学校行事に、父親としてただの一度も出席したことがないというほど私生活をなげうち、半生を合唱指導の道に心血注いだ伊藤さんのそっとつぶやいた言葉が忘れられない。
「でもね、最後まで、満足する演奏にはたどり着けなかったな・・・。」
合唱音楽という難問に取り組み続けた伊藤さんは、部員に向ける以上に自分に厳しく、誰よりも己に楽譜を投げつけ続けていたのだろう。
合唱音楽の高みを目指し毎年繰り広げた伊藤さんと部員たちの熱き日々は、これまた一つの壮大な楽曲だったのだろう。長い歳月の中、部員と心の足並みが揃わず不協和音を奏でる日が幾多もあったに違いない。どんなに追いかけても、理想とする完璧な演奏に届かなかったかもしれない。しかし、伊藤さんをベースに、歴代部員約600人の一人ひとりの音が重なり合い作り上げた23年間の歴史というハーモニーは、今、周りの人の心を熱く捉えて離さない。
そして、そっと胸に訴えかけてくることがある。
ひとつのことにじっくり時間をかけること、心をむき出しにぶつかり合うこと、一心不乱に取り組むこと、それらは決して格好悪いことでも恥ずかしいことでもなく、日々を懸命に生き抜いた証なのだと・・・。
取材に応えてくれた方
伊藤千蔵(いとうせんぞう)/プロフィール
1941年生まれ。元・高等学校音楽教諭。青森県立八戸東高校に赴任した昭和47(1972)年4月〜平成7(1995)年3月までの23年間、音楽部(合唱部)顧問として同部を全国大会に15回出場へと導く。
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取材と文
上野幸(かみのみゆき)/プロフィール
2014年度より、デーリー東北新聞社の市民記者としてボランティアの立場から身近な話題をすくいあげ取材・執筆を行っている。執筆のモットーは、目に見えない、声にならない思いを汲み、読み手に温かい気持ちを届けること。1975年生まれの41歳。