No.85
白山台山車組創設秘話
新しい住宅地で育まれる新しい伝統。
細かい気配りで地域の理解と協力を得た山車組は、
子どもたちの歓声とともに活気に満ちている。
菊地敏典 菊地倫子
取材・文 中村邦英
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白山台山車組の副代表である、菊地敏典さんが勤務する白山台保育園を私が訪れたのは、子どもたちが散歩に出かけ、保育園が静けさに包まれている頃合いであった。
玄関に入ると、敏典さんと、敏典さんの母であり白山台山車組創設の功労者の一人、故菊地敏明市議会議員を支えた妻である、菊地倫子園長のお二人が笑顔で迎えてくださった。
白山台山車組は、平成13年に新興住宅地である八戸ニュータウンを拠点として立ち上がった山車組である。八戸三社大祭に参加すると一口に言っても、中心街から離れた地域で山車組を立ち上げるのはあまり例のないことであった。
「山車組を立ち上げる際は、運行の仕方を含め、運営に必要ないろいろな基礎の部分を、他の山車組の方から6~7年は教わりました。また、お祭りの練習が始まる時期になると、お願いの紙を携えて地域を挨拶して回るなど気を配りましたから、おかげ様で苦情は特にないですね。」と菊地さんは語った。立ち上げから現在に至るまで、細かい心配りを大切に地域の理解を得て活動して来られたことが菊地さんの言葉から感じられた。
「山車小屋を立ち上げる4月最初の日には2~3人で始まります。それから4~5人程度で山車作りを粛々と進め、祭り直前になるとお囃子の中学生や高校生も加わって15人くらいになります。子どもたちの数は、他の山車組と比べても恵まれていると思います。お囃子の練習が始まると、保育園からも音が聞こえてきます。祭りが近づいてきたことを実感する瞬間ですね。」と菊地さんは、目を細めて語る。
自分たちの地域に山車小屋があって、そのそばでお囃子の練習ができる。中心街から離れてはいるが、環境には恵まれている。
「子どもたちを熱心に勧誘するということはありません。山車制作やお囃子の様子を見せることが、何よりの宣伝になると考えています。通学で通りかかる子どもに、元気に挨拶をします。でも、誘うことはしません。すると、向こうから気になって山車小屋やお囃子の様子をのぞきに来てくれるんです。」と、菊地さんは嬉しそうに語った。
「他の山車組もそうだと思いますが、山車の制作メンバーは足りません。子どもたちは楽しそうと感じたら素直に参加してくれますが、大人はそうはいきません。仕事もあるし、祭りへの先入観があって、『自分は祭りに参加するようなタイプじゃない』みたいに思い込んでいる方も多いです。参加するまでのハードルは、むしろ大人の方が高いかもしれません。」
子どもがお祭りの楽しさを知り、子どもたちが楽しむ様子を見た大人たちが触発される、山車小屋とお囃子の練習場所に近い保育園の立地は、お祭りの魅力を伝えるために最適な立地なのかもしれない。
子どもたちが散歩から帰って来て、園内は賑やかになってきた。菊地さんはその様子を眺めながら、「この子どもたちがお祭りに参加して友達ができて、その友達と大人になっても仲間でいてくれたら素晴らしいことです。もし市外に出て行っても、いつ帰ってきても安心して祭りに参加できる山車組でありたいです。山車組の仲間と話し合うと、やはり『人』を大切にすることが一番だし、どう次の世代につないでいけるかを第一に考えていきたい、自分たちはその礎を作りたい、という話になります。」と目に力を込めて語った。
「それから、これは個人的な話なんですが・・・」と、一転して気恥ずかしい様子で菊地さんは語り続けた。
「自分は、お祭り本番は山車のハンドルを握っています。好きでやっているので仕方ないとはわかっているんですが、お祭りの賑わいの中でも最高潮の、中心街で山車の仕掛けが開いて、お客さんが一斉に拍手喝采してくれた時、自分は運転席のモニター越しにその様子を眺めているんです。外から歓声が漏れて伝わる感じも、なんだか不思議な感覚です。」と語る菊地さんは、運転席から撮影した画像を見せてくださった。山車の仕掛けに囲まれて、外がほとんど見えない。
「いつか後輩に山車のハンドルを譲って、自分たちの山車が沿道の歓声に包まれている様子を、外からゆっくり見てみたいんですよね。」と菊地さんは笑った。子どもたちの歓声が、元気よく保育園に飛び交っていた。
取材に応えてくれた方
菊地敏典(きくちとしのり)/プロフィール
1975年、八戸市東白山台生まれ。幼保連携型認定こども園白山台保育園副園長。白山台山車組副代表兼運転手。趣味は釣り・DIY・映画鑑賞・時々お酒。
菊地倫子(きくちりんこ)/プロフィール
1950年、八戸市廿三日町生まれ。幼保連携型認定こども園白山台保育園理事長・園長。白山台地区社会福祉協議会会長。趣味は読書と音楽鑑賞。
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取材と文
中村邦英(なかむらくにひで)/プロフィール
45歳。3児の父。カレーとつけ麺に目がない。高校3年生の時に車に轢かれた経験があり、養子縁組で姓名も変わったため、小中学校時代の同級生に会うと、生きていることを驚かれることがある。