No.29

まだ見ぬチカラを信じて

人に寄り添い、そっと背中を押してあげることで、
その人さえ気づいていない未知の力を引き出す。
20年ぶりに再会した先生と教え子の「答え合わせ」。

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今川和佳子
取材・文 淀川智惠子

 はっちで勉学に励む高校生を見て、私は複雑な思いに駆られることがあった。私の経営する公文教室に通っていた、ある生徒のことを思い出してしまうからだった。ある生徒、とは、高校受験の際、私のアドバイスがきっかけで志望校を変えてしまった、今川和佳子さんのことだ。
 当時から20年あまりが経過したこの冬、初めての雪が舞った夜に、久しぶりに和佳子さんと会った。人生の岐路に立っていたあのころのことを、どう語ってくれるだろうか。和佳子さんは、思い出しながら丁寧に答えてくれた。
 「小学校に入った時、算数も国語もピンとこなくて、苦手だったんです。一つ上の兄が公文を習い始めたので、大好きな兄の後を追って公文に通うようになりました。やり始めたら、兄が解いている問題が自分にはできなくて悔しくて(笑)、泣きながら宿題をやっていたんですよ。そのうちにコツが分かって楽しくなって、宿題が足りない、もっとやりたいと思った時は自分でノートに問題を書き写して繰り返し何度もやっていました。完全に公文にハマっていましたね。」
 このように打ち込み始めると我を忘れたかのように夢中になる和佳子さんは、そのうちバスケット部に入部。小学校・中学校時代を通じて、公文をこなしながら、一生懸命バスケットボールに打ち込んだ。部活が終わった後公文に来る和佳子さんは、他の子のように部活の疲れや余韻を引きずることのない生徒で、新しい課題、特に学校の授業より先の内容に進んでも、例題を理解し考えながら自力で解いていくという、公文の指導者としては先が楽しみな生徒でもあった。そしてどちらかというと、周りのお友達と仲良くというよりは自分のペースで寡黙に取り組む和佳子さんが、チームワークがものをいうバスケットにのめり込んでいることも意外ではあった。しかし和佳子さんは当時を振り返り、「仲間と一緒に上を目指し、泣いたり笑ったりしたことが、大人になったいまでも、生きていく上での礎になっている」と語る。
 しかし当時、彼女を見ていた私は、あまりにバスケットにのめり込みすぎて、その先の自分の進路もバスケット以外には見いだせていないのではないかと、疑問に思っていた。
 当初、高校でもバスケットを続けたいからと、和佳子さんは家族や学校が勧める高校ではなく、バスケットの強豪校の受験を志望していた。受験シーズンになっても、さほど勉強に打ち込んでいる様子もなく、お母様が一般的な受験生よりも努力が足りないのでは?と心配なさって、「先生から志望校を変更するよう説得してもらえませんか?」と打診があった。親や家族の言うことがなかなか受け入れられない年頃でもあったのだろう。公文の指導者としては、学習をしている内容から見えてくる能力の高さに期待するものがあったので、順当な進学先であった。変更に伴う努力はきっと将来につながるはず、と思い、再度和佳子さんといろいろ話し合った。その結果志望校を変更するという決断に至ったのだった。一度決まると、ご家族の協力も得て、一生懸命勉強に打ち込むようになった和佳子さんは、見事合格した。
 とはいえ、彼女はどのような思いで高校時代を過ごしてきたのだろうと、この20年余り心に引っかかっていたのも事実だった。和佳子さんが2年生の時、最初に志望していた高校は、バスケットボール大会で28年ぶりに優勝した。
「自分もそのチームの一員だったらと考えたことはなかった?」
という質問に、和佳子さんはサラリとこう答えた。
「自分も自分のチームで一生懸命練習に打ち込んだし、何より小中学校時代の自分の仲間が優勝したことが嬉しかったです。」
私の心には彼女への長年の複雑な気持ちがあった。あの時の説得が本当にただしかったのだろうか、と。優勝の記録に名をとどめていたかもしれなかったのに、ごめんね。しかし、その自責の念は、この夜、彼女の言葉によって一気に払拭された。そして、彼女が前向きに人生を歩んできた事実を、心から嬉しく思った。
 その後東京の大学に進み、いくつかの仕事を経験した和佳子さんは今、アートコーディネーターとして、八戸の文化や人を新しい視点で紹介する活動をしている。その原点は、独自の文化や多様性にあふれる八戸ならではの豊かさだと語る。「自分なりの感覚で好きなことを突き詰めながらも、さまざまな人に出会い、それに感化されてどんどん自分が変わっていくことが楽しくて仕方がない。そういう人がたくさんいる八戸という街がすごい」と言う。
 「人間の可能性は、実は本人よりもまわりの方がよく見えるのではないか」
そう思って私がアドバイスした20数年前の受験生の和佳子さんは、今ではそうして人々の魅力を引き出す仕事に就いていた。公文の教材を一枚一枚、丹念に解かれた答案から感じていた可能性、それは深い洞察力と無辺の愛で八戸を耕す、エレガントな女性として目の前に存在していた。

取材に応えてくれた方

今川和佳子(いまがわわかこ)/プロフィール

1976年生まれ。学生時代はバスケ一色のスポーツ女子であったが、画家である父親や、大学時代に東京下北沢のサブカル等に大きな影響を受け、現在の職を志すようになったのかも。日本酒と横丁をこよなく愛する。

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取材と文

淀川智惠子(よどかわちえこ)/プロフィール

1948年生まれ。1981年に公文式西ノ沢教室を開設。幼児から72歳の方、障がいを持った方の指導実績がある。2017年現在、公文式はちのへ駅前教室と2教室を運営。算数・数学、英語、国語、独語を指導。


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