No.12

このまちが僕を育てた

誕生したばかりのみろく横丁を盛り上げようと、
パンフレット作成のために走り回ったひとりの男。
しょしがる店主たちとの交流で知った八戸の本当の魅力。

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山本純史
取材・文 淀川智惠子

 2002年、みろく横丁に灯がともった。三日町側から数えて5軒目のところに、印刷屋を任されることになった山本純史さん。人生何度目かの単身赴任を切り上げ、みろく横丁のプロジェクトのために八戸に戻ることとなった。
 みろく横丁でははじめ、六日町側は飲食店、三日町側は物販店を募集していたが、物販店として応募したのは山本さんの勤務先の会社だけであった。結局その後、山本さんの会社以外の店舗はすべて飲食店となることが決定。それでも、社長から「やってみるか?」と言われたとき、「やります!」と答えたと言う口調には力がこもっていた。八戸のど真ん中で事業を任せてもらったときの意気込みを語る表情には、当時の自信の程が感じられた。 
 第一期に開店した店主たちは、飲食業のベテランもいれば、この仕事が初めてという人もいたそうだ。ほとんどの店主が自分より年上ということもあって、隣の店の同世代店主の存在は心強かったという。みろく横丁での仕事を足がかりにして更なるステップアップを目指すというのが、出店者全員の目標だった。家族と暮らすようになった山本さんにとっても、それは生活をかけるほどの大きな挑戦であった。
 みろく横丁では日中開いている店は数店のみという状況であったが、日中が営業時間の山本さんの印刷屋にはいろんなお客さんがきてくれたという。店にくるのは、みろく横丁について相談しにくる店主ばかり、という日もよくあった。またある時は、みろく横丁のことはよくわかっているつもりであったが、夜は自分の店だけが閉まっていて暗く、みろく横丁全体の雰囲気を損なっていることに気付いた。同世代の隣の店主と相談し、閉店後も明るいショウウインドウを作ったこともあった。若いアーティストが活動を立ち上げるためのPRの相談を受けたり、様々な自費出版をしたい人の相談を受けることも多かった。そうしているうちに、たとえ売り上げには直結せずとも、「印刷屋」という媒体を通じて新しいことを始めたい人々の役に立ちたい、という思いが強くなっていった。
 その思いは、みろく横丁で初の試みとなるパンフレット作成の事業に結集した。まず山本さんは、絶大な信頼を置く同業他社の先輩の下に何度も通った。先輩は「うちの顧客をとるなよ。」と言いながらも、お客さんが来たくなるようなパンフレット作りの肝を多く教えてくれた。その店の得意料理をどのように見せるか、先輩に習って写真の写し方も変え、お客さんの目線こそが何より大事と聞けば、自分が客になって店に何度も通った。そうは言っても、自分を自慢すること、自信を持っていることを得々と話すことを良しとしない、「しょしがる店主」を前に、パンフレットに載せるとっておきの一品を聞き出すことが難しかったという。時間をかけてその店に通い、様々なメニューを注文することで、とっておきを探っていった。更に先輩からは、「パンフレットで見せる料理はその店のこだわりを伝えるもの、見せない料理は入店前に予想もしなかった驚きのあるもの」というように絞り込んでいくアイディアももらった。パンフレット作成の中で、店主たちとあれこれやりとりをするのが楽しかった。彼らとの関係が友達のようになっていったからだ。食べ歩きで体重が増えてしまったぶん、今現在も付き合いのある信頼できる多くの友情を得た。
 店の雰囲気がわかるよう、店主の写真もパンフレットに掲載する案は、本当に苦戦した。写そうにも「なぁんで、俺よ」と、またもしょしがる八戸人。けれども、その店に食事に行き、趣味の話になると表情が緩んでくるのがわかった。失敗した。そのいい表情を撮ろうにしても、単に客で来てしまっているから肝心のカメラがない。それ以降はカメラを持ち歩くようになった。その頃のお客さんは地元八戸の人たちがほとんどで、方言で冗談が飛び交い、盛り上がった。あるとき店主から種差や階上岳など、お勧めの場所を聞けば、より深い話ができるようにと後日実際に勇んで行った。同席していたお客さんからの話も大事にした。開催中の展覧会で展示されている絵や作品の話を聞けば、早速翌日には子供を連れて鑑賞した。そうこうしていると、八戸では、歩いていける場所に様々な多くの文化が大切に継承されていることにも気付けたと言う。次に店に行ったとき、その話を肴にまた酒を飲む。そうして自分が楽しんでいたら、いつの間にか店主は、いつでもどこからでも写真を撮らせてくれるようになっていた。
 今は、みろく横丁では昼間のイベントも多く行われている。もうみろく横丁に山本さんの店は無いが、イベントがあるたび、家族を連れてみろく横丁を訪れる。話して聞かせるより、実際に見せたいのだそうだ。広告業を生業とするなら、とことん、店主たちの八戸を、元気ビタミン含有表示で印刷したい。そんな思いの表情で当時を語る山本さんは、「みろく横丁でのプロジェクトは、自分にとって最大のターニングポイントだった。」とつぶやいた。



取材に応えてくれた方

山本純史(やまもとよしふみ)/プロフィール
1972年八戸市生まれ。「屋台村」の中に「印刷屋」が?の時の店主。現在は、屋台村を卒業し某印刷会社で働く。趣味の登山・ロードバイク・カヤック・トレラン・写真にと、寝る間を惜しんで日本中を走り回っている。

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取材と文

淀川智惠子(よどかわちえこ)/プロフィール
1948年生まれ。1981年に公文式西ノ沢教室を開設。幼児から72歳の方、障がいを持った方の指導実績がある。2017年現在、公文式はちのへ駅前教室と2教室を運営。算数・数学、英語、国語、独語を指導。

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