No.42

中学校ロボコンの生みの親 ~故・下山大先生に捧ぐ~

その名を全国にとどろかせた中学校教師がいた。
2016年秋に急逝した下山大先生は、考え、実践し、
工夫する楽しさと苦しさを子どもたちに体験させ続けた。

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土谷享
取材・文 吉川由美

 「苦しくなればなるほど、ミトコンドリアが燃えるんだよ。むずかしい環境にあればあるほどがんばる人だよね、下山先生は。」
 2016年11月に、前触れもなく突然この世から旅立ってしまった「ロボコン先生」こと下山大先生のことを、土谷享さんはこう語った。土谷さんはアーティストである。彼の作品は人が介在して初めて成立する。はっちで2012年から2013年に彼が行ったアートプロジェクト「はっち流騎馬打毬」は、八戸市が誇る貴重な古武芸である加賀美流騎馬打毬を、ロボコンに置き換える前代未聞のプロジェクトだった。敵をかわしながら馬を操り、毬をゴールに入れる騎馬打毬。馬を思い通りに動かすのは至難の業だ。その馬の操りにくさをどう表現すればいいのかが、このプロジェクトの大きな課題だった。その課題に一緒に立ち向かい、試行錯誤してくれたのが、下山先生だった。行きついたのは、それぞれ違う人が、馬の右脚と左脚を手回し発電のモーターで動かすシステム。肉体を駆使し、他者との関係を感じとりながら操作しないと、ロボットが機能しないという、実に厄介な、それだけに痛快なしくみだったのである。
 下山先生は、その名を全国にとどろかせた中学校ロボコンの育ての親である。長年培ったロボコンのノウハウをもとに、次から次へと実践にもとづいたアイディアを、このプロジェクトのために惜しげもなく繰り出してくれた。他の先生から別な案が出ると、それがよいものなら、ばっさりと自分の考えを捨てられる人だった。
「実験を続ける科学者って、バッサリ捨てる直感力や臨機応変力がないと、新たな発見や検証ってできないよね。」
 土谷さんは、教育現場の下山先生について語ってくれた。
「『技術家庭科』って、生活のために役に立つことを習得して、だれかのためになったという喜びを知る教科だよね。下山先生はその教科のあり方を、教育現場の中で形にしようとしていたのだと思う。」
 下山先生は授業で、生徒たちにロボット本体に指人形をかぶせた「パペットロボット」を作らせている。「技術」のカリキュラムでロボットを作り、「家庭」で服を作ってそのロボットに着せる。そして、みんなで人形劇を作り、市内の保育所などに出前公演を行う。「技術家庭」の本質に生徒たちは触れ、リアルな他者に接しながら成長していく熱い時間なのだ。
 学校備品のパソコンは自由にカスタマイズすることがむずかしく、本来のパソコンように動かすにはほど遠い状況であることを「こんなのパソコンじゃないんだよ。」と嘆き、「だったらパソコンを動かしちゃえ!」とラジコンで動く台車を作ってパソコンをその上に乗せ、音楽に合わせてまるでダンスのように動かしていた。教育現場でかたくななまでの居づらさのようなものに出会うと、彼は今までにないアイディアをねじ込んで、そこを熱い場所に変えていくのである。
 以前、下山先生のクラスに不登校の生徒がいた。毎朝5時に起きて、クラスの全生徒の家を訪ね、ひとりひとりを起こしに通い続けたことがあるという話を、土谷さんは下山先生から聞いたことがある。クラスの全員が無遅刻・無欠席になるように、先生は毎朝、家々を訪ね歩いた。
 大掃除の時は、生徒たちとともに和式便器をはずして床を磨き、落書きは消し、電動サンダーやパテ、ウレタン塗装などを駆使して徹底的にきれいにする。生活そのものの中で、「技術」を実践するのである。「生きる」ということの地続きに下山先生の教育はあった。
 下山先生は身体を通して生きざまを見せてくれる、数少ない大人のひとりだったと土谷さんは言う。数え切れないプロセスを積み上げて、積み上げて、ゴールをひたすら目指し続ける下山先生は、いつも少年のようだった。
 彼の目にだけ見えているゴールはある。みんなでゴールを目指すとき、微妙なずれが生じると、下山先生は奇想天外な采配をふるうことがある。だれもが意図していないことを突如として言い出す。でもそれは、決してただの思いつきではないと土谷さんは考えている。彼の豊かな経験値に裏付けられた"勘"が、ずれを感知して、それを修正する瞬間なのではないかと土谷さんは感じたという。砂で高い塔を作ろうとするとき、このままでは途中で壊れてしまうと感じれば、彼はあっさりそれを壊して、もう一度一からやり直す。別なやり方の方が塔を高くできることに気づくためには、壊してしまうことが大切なこともある。
 土谷さんは最後につぶやいた。
「はっち流騎馬打毬を通して、何かを下山先生と一緒に貯金した感じだった。その貯金をもう一回、一緒に使いたかったなあ。」
 だれよりそう思っているのは、当の下山先生ご本人に違いないのだけれど。

下山大(しもやまゆたか)/プロフィール
八戸市立白山台中学校教諭。技術担当。2016年11月に急逝した。中学校ロボコンの基礎を創り出した、全国的に知られる「ロボコン先生」。本体に指人形をかぶせた「パペットロボット」を作り、グループで人形劇を制作・上演するカリキュラムは、生徒の主体性や創造性を養う教育方法として、全国的にも注目を集めていた。八戸市の中学校ロボコンでは、その中心となって大会を牽引してきた。2012年〜13年にかけて行われた、はっち流騎馬打毬では、アーティストのKOSUGE1-16とのコラボレーションで、子どもから大人までが一緒に楽しめる場を創り上げた。

取材に応えてくれた方

土谷享(つちやたかし)/プロフィール
1977年 埼玉県生まれ。多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。車田智志乃との二人組のアーティストユニットKOSUGE1-16として2001年から日常のありふれた環境や、現象、人のつながりをテーマに活動。作品を介在させることで鑑賞者を参加者として変質させ、参加者同士、あるいは作品と参加者の間に「もちつもたれつ」という関係性を構築する。アートが身近な場所で生活を豊かにしていく存在として成立する事を目的にしている。2012年〜13年にかけて、ロボコンと八戸に伝わる古武芸である加賀美流騎馬打毬をミックスした「はっち流騎馬打毬」のプロジェクトを展開した。

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取材と文

吉川由美(よしかわゆみ)/プロフィール
はっち文化創造アドバイザー。はっちプロジェクト「DASHIJIN(だしじん)」ディレクター。これまで「八戸レビュウ」「八戸のうわさ」「デコトラ・ヨイサー!」「はっち流騎馬打毬」「はっち魚ラボ」など、はっちのプロジェクトをディレクションした。このほか東北各地でアートプロジェクトなどを多数プロデュースしている。


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