南部地方のきびしい風土と女性たちの知恵が育んできた南部裂織。
古布を緯糸に織り上げるエコロジカルなスタイルや、二つと同じ模様が現れないあたたかみのある美しさに、昨今注目が集まっています。
はっちでは、井上澄子先生のご指導のもと、8か月もの間、のべ500人の来館者のみなさんがその伝統の技と心を共有しながら、南部裂織を織り続けました。それは32畳という大きさになりました。
だれかの人生とともに生きた布に、再び新しい命を吹き込む南部裂織。
人と人との縁を結んだ、はっちのBIG南部裂織。
大きな大きなタペストリーが、その心を再発見させてくれます。
「裂織」は、使い古した布を細かく裂いて横糸「緯(ヌキ)」にして衣服や生活用品を織る、織物の一つの織り方です。
寒冷な気候のため、綿を生産できなかった雪国では、古くから着るものといえば、麻布、藤布、科布を自分たちで織ったものでした。江戸時代、暖かい綿はとても貴重だったのです。手に入るのは大阪から、日本海を北前船で運ばれた木綿や古手木綿でした。それらの布は大切に使われ、ほんの端布も粗末にすることなく、重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて、経糸に麻を張り、緯(横糸)にこの裂いた布を織り込んで、夜着、仕事着、帯、前掛けなどにしたのです。
地機で織った裂織は丈夫で温かく、カラフルな色合いと複雑な機上げが特徴です。昔の農村の女性達の暗い部屋に少しでも明るい色をという思いやりと、火伏せの意味もある赤を基調としたこたつ掛けなどから始まりました。
はっちのBIG南部裂織プロジェクトは、
約8カ月もの間、のべ500人もの方々と毎日毎日少しずつ織ってきた南部裂織をつなぎ、
大きなタペストリーとして完成させたプロジェクトです。
古布を裂いて緯糸にし、来館者のみなさんの手で木綿の経糸に織ってきました。
はっち開館以来、4階のものづくりスタジオで活躍してこられた八戸南部裂織工房「澄」の伝統工芸士 井上澄子先生のディレクションとご指導により、赤、青、緑、黄の色合いの南部裂織を、32畳の大きなタペストリーとして織り上げました。古布を裂いて緯糸の玉「ぬき」をつくったり、格子柄が浮き出るように経糸の色を変え準備したり、織り上げた布を構成し、つなぎ合わせる膨大な作業に、井上先生とアシスタントのみなさんが日々コツコツと専念してくださいました。
寒冷な気候で育まれた南部裂織の風合い、美しさ、
織りの知恵、下ごしらえの技など、
南部裂織の魅力を未来へ伝えていきます。
寒冷な気候のため綿が手に入りにくい南部地方のきびしい風土の中で、古布を裂いてあたたかい布を織り上げる知恵が育まれました。南部裂織は、使い込むほどに柔らかくなる味わい深い織物です。こういった風合い、美しさ、織りの知恵、下ごしらえの技などを、はっちでの作業を通して、多くの人たちに伝えていくことが、このプロジェクトのねらいのひとつでもありました。
完成した南部裂織タペストリーは、はっちの催しの際に、敷物や装飾タペストリーとして使用し、南部裂織の魅力を未来へ伝えていきます。
特別な輝きを放ち、ひとつひとつ違った表情と、
丁寧な手仕事が生み出すあたたかな風合いが
独特の世界観を持ち合わせたファッション性を
生み出します。
この素朴な布は、現代のファッション素材の中で、特別な輝きを放ちます。布の織り手たちも、自ら織り上げた布を、世界でたったひとつの服や帯、小物などに仕上げています。丁寧な手仕事でしか生み出されない複雑であたたかな風合いは、独特の世界観を持ち合わせたファッション性とその魅力に多くのデザイナーが注目し始めています。
古布を活かす南部裂織は、
ものを大切にするエコロジーの精神を体現しています。
だれかが大切に使ってきた布地。それを裂いて緯糸にする南部裂織には、人々の人生をも織り込まれているかのようです。古布を生かす南部裂織は、ものを大切にするエコロジーの精神を体現しています。
かつて貴重だった木綿の布を、人々は大切にしました。使い古してボロボロになっても、端布さえも粗末にすることなく、重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて糸として使うことで、新たな布に生まれ変わらせたのです。
古布を使うからこそ生まれる色や柄、風合いが、南部裂織の独特な美を生み出します。そして、それは100年以上も使える耐久性をも兼ね備えているのです。
青森県伝統工芸士 井上 澄子
(ものづくりスタジオ「工房 澄(ちょう)」代表)
北海道斜里郡斜里町朱園生まれ。
昭和58年に裂織教授免許取得(南部裂織保存会)。平成14年に青森県伝統工芸士に認証される。平成23年2月より八戸ポータルミュージアム はっち4階ものづくりスタジオに「工房 澄(ちょう)」を開業。