No.76

八戸工業大学ドクターカーV3誕生秘話

いつでも心にある「救えなかった命」のこと。
無念の思いは、美しく機能的なドクターカーを生み出した。
発想から開発までメイドイン八戸。今日も命のために走る。

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伊藤香葉 浅川拓克
取材・文 河野秀清

 発想から開発まで、メイドイン八戸。
 移動緊急手術室ドクターカーV3の開発に携わった八戸工業大学の浅川拓克氏は、熱っぽく語り始めた。
 少し昔、近所で二歳上の人が道路上で倒れていた。その人の家族の方に連絡したが、「酔っぱらって寝ているのでしょう」とのことであった。しかし、「浅川さん」と自分の名前を呼ぶ声に振り返ると、倒れていた人のそばに奥さんがいた。
 浅川氏は救急車を要請し心肺蘇生を試みた。しかし、悲しいかなその方は亡くなられた。もっと早く処置ができるようになっておれば、亡くなることはなかっただろう。浅川氏は思った。
 心肺停止しても脳が生きておれば生きられる。さらに、生きているだけではなく社会復帰ができるようにするのにはどうすればいいのか。脳を殺さないで人工心肺補助装置をつなげられれば命をつなぐことができる。さらに、短時間でそれを実現できると社会復帰できる可能性が大きく広がる。時間が勝負なのだ。
 そのためには移動緊急手術ができるようなドクターカーがあればいいのではないだろうか。
 八戸市には既存のドクターカーがある。助かる命を、さらに確実に助けるために必要なことは、医師と臨床工学士が車に乗って現場に到着後、速やかに、短時間で手術室を設置することである。
 移動緊急手術室を実現するために最初は、牽引車方式を考えたが、警察の許可が出ない。「どうすればいいのだろうか?」浅川氏は考えあぐねた。「命を助けたい。」その一心で考えた。
 牽引車がだめなら自走式にしよう。
 車の後方にテントを張りだして手術室にすればいいのではないか。テントの広さはどのくらいにしようか。テントの材質はどうしよう。ドクターカーを使う医師たちと検討を重ねた。青いビニールシートを使い、いろいろな広さを検討した。
 テントの材質についてはうれしいことに浅川氏には多くの人脈があった。テント店の友人が、いい材質を見つけてテントを作成してくれた。スキーウェアーの素材と同じナイロン製である。軽い、これだと畳んで収納するのに適している。手術室のテント部は車の天井に固定したボックスに収められた。
 そして、現場に到着したドクターカーは救急車から容易に患者が入室できるように停車位置の工夫もして、素早く展開できるようにした。
 更に、浅川氏にはこだわりがあった。若い医師が乗って「カッコいい」ドクターカーにすることである。運転中も停車しているときも誰もが「カッコいいなあ」と思える車である。それで、ドクターカーのディスプレーや外装のストライプ一本一本までディティールにこだわった。
 完成した車は、ドクターカーV3と名づけられた。
 ドクターカーV3で救急救命に出動した八戸市立市民病院救命救急センターの伊藤医師は、浅川氏の熱い想いを受け止めながら、「チームに必要なことは全ての人の協力。視ている方向性は同じ。」とさわやかな笑顔で話していた。今日も浅川氏の想いを乗せて、ドクターカーV3は命を救うために走っている。 



取材に応えてくれた方

伊藤香葉(いとうかよ)/プロフィール
1977年南部町生まれ。自治医科大学卒業後、県内各地の病院、診療所で勤務。2012年より八戸市立市民病院救命救急センターに勤務し、現在は同センター救急科医長。スポーツは苦手ですが、体を動かすのが好き。時間を見つけて様々なことにチャレンジしていきたい。

浅川拓克(あさかわたくかつ)
1969年小樽市生まれ。八戸工業大学機械情報技術学科講師。18年間の高校教諭生活を経て、現職。着任時より日本初の移動型緊急手術室「ドクターカーV3」の開発に着手。現在は更に機動力を向上させた「ドクターカーV3+(プラス)」を開発中。

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取材と文

河野秀清(こうのひできよ)/プロフィール
昭和20年11月、兵庫県生まれ。モットーは「やってみなはれ!」やってみないとわからない。だめでもともと。文章を読む、文章を作るのは大好き。昔は北杜夫を好んで読んだ。

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