No.63

補任状(ぶにんじょう)に記された七崎の修験者たち

さまざまな伝説が語られるまち、七崎。
ここでは、その活動を保証する「補任状」とともに、
修験者たちが跋扈していた時代があった。

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奥田卓司
取材・文 松原新一

 七崎神社は、国道454号線をJR八戸駅方面から五戸方面に向かった豊崎町の中ほど、浅水川沿いの高台の杉林の中にある。
 平安時代、流刑になった南都四条中納言・藤原諸江卿が白銀村に上陸した。そこで漁夫として暮らしていたある日、金色の物体が網にかかった。これを承和元年(834)に正観音菩薩として祀り、七崎山徳楽寺が開かれた。
 貞観年間の860年代、熊野権現の申し子として南部町斗賀に生まれた南祖丸という童子が、七崎にあった永福寺(現普賢院)の月体和尚の下で学問を修め、その後南祖坊と名を改め、諸国行脚に出た。その途中、十和田湖の主・八の太郎と闘って追放した後に、十和田湖を聖地として開いたともいわれている。現在は十和田湖畔に「青龍権現」として祀られている。
 江戸時代までここ徳楽寺は修験者たちの拠点であったが、明治の神仏分離令によって観音堂が廃止され、七崎山徳楽寺は七崎神社となった。正観音菩薩像は、宝照山普賢院(南部糠部三十三観音十五番札所)に祀られ、今日に至っている。
 この神社の境内には、普賢院を開いた行海和尚が七つ星の形に植えたとされる巨木3本が残っている。樹齢800~1000年と伝わる市の文化財(天然記念物)の「大杉」は、今も鳥居の右手にその雄姿を見せている。それはまさに、この土地をずっと見続けてきた精霊である。

 豊崎町に住む元中学校長・奥田卓司さんに案内してもらった日は、八戸では珍しくかなりの雪が積もった日だった。高台の神社からは、往時のゆかりの地名が残っている人里「永福寺」「七崎」「南宗坊」が一望できる。真っ白な雪におおわれた七崎神社一円は、まさに清新な雰囲気に包まれていた。境内には籠り堂があり、修験者たちが熊野三山(熊野本宮大社、熊野神宮大社、熊野那智)に参詣に向かう前に、ここで身を清めていたという。

 この七崎神社で平成19年に、約200年前の古文書「補任状(ぶにんじょう)」(修験者の活動地域を定め、院号を授与し、活動を保証する認証状・免許状のようなもの)が発見された。奥田卓司さんの元に、ある日、神社の白石八郎宮司の奥様・光代さんが訪ねてきた。「何が書いてあるのか見てほしい」と木箱に入ったいくつかの古文書の解読を依頼された。
 依頼された奥田さんは、数々の資料を調べるとともに、歴史学者や図書館の方など専門家のアドバイスを受けながら長い時間を費やし読み解いていった。古文書を読み解いていくに従って、この補任状が伝えている世界に惹かれていった。
 調べていくと、この「補任状」はそれぞれ1813年(文化10年)、1838年(天保9年)、1859年(安政6年)に書かれた書類で、七崎の3人の修験者・善行院栄元、善学院栄貞、善明院栄隆の担当地域を定めた認証状であった。それは、修験道(しゅげんどう)の総本山である熊野三山(和歌山県)奉行の検校(寺社の総務を監督する役職)が発行したものである。そこには新郷村戸来の修験者・多聞院の名もあり、当時五戸・新郷・豊崎が盛岡南部藩領だったため、盛岡の修験者の系統下にあったこともわかるという。補任状に書かれた文は極めて短いが、修験道の長い歴史と、当時の修験者たちの活動範囲の広さを読み取ることができる。

 修験者は山野に起き伏し、難行苦行の修行を積んだ僧侶のことで、特殊な霊力を持っていると考えられていた。雨乞い、日和乞い、風鎮祭、守り札の配布、火防池祭、病人の快復祈祷、修行霊山への案内などの加持祈祷を行い、広く人々の心の拠りどころとなっていた。補任状はそのような修験者の活動・担当地域を定め、修験者それぞれに院号を与えたものである。いわば、その資格を保障する認証状なのである。江戸時代に修験者は修行で山野を自由に巡り歩いていたが、やがて村里に定住するようになり、補任状で地域担当が定められ、祈祷などを通して村人と深く結びついていった。
 補任状の解読にあたった奥田さんは、現在の七崎神社で活動していた修験者が、熊野三山で修行を積んでいたことに着目している。熊野で修行した修験者たちは、各地域で活動する修験者たちにも大きな影響を与え、彼らの知恵や知識、文化が地域の端々にまで行き渡っていた時代だったのである。奥田さんは、七崎神社周辺に修験者たちが行き交った時代があったのだ、とこの古文書が証明していることを多くの人に知ってほしいと語る。この土地に修験の文化が花開いた時代を知ることで、郷土への関心が高まってくれればと願っている。

取材に応えてくれた方

奥田卓司(おくだたくじ)/プロフィール

1937年生まれ。元中学校の教師。七崎神社から補任状の解読を依頼されてから、郷土の歴史を受け継ぎ、次の世代へ伝えていかねば、と思ったという。趣味は俳句で、俳句結社「たかんな」で活動し、同結社発行の俳誌「たかんな」の編集長も務める。

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取材と文

松原新一(まつばらしんいち)/プロフィール

69歳。はっちボランティアガイド。歴史が好きで、学生時代4年かけて日本一周史跡めぐりをした。退職後は地元の史跡をかけずり回り、地元のすばらしい史跡に驚く。知れば知るほど歴史っておもしろい。誰かに紹介せずにはいられない今日この頃。


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