No.41

子どもたちが原動力 ~ヴァンラーレを支える熱い思い~

青森県内初のJ3昇格を目指すなかで次々と訪れる苦境。
1%でも可能性があれば絶対に諦めない、貫くことにブレない。
次代を担う子どもたちの成長を願う心が、その情熱をかき立てる。

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細越健太郎
取材・文 佐藤梨香

 「最初はJリーグは1ミリも考えていなかった」
クラブ代表の口から、意外な言葉がこぼれた。
 「青森県初のJリーグチームを!」と奮闘しているのは、ヴァンラーレ八戸。その代表を務めるのが細越健太郎氏だ。現在、JFLという国内4部に相当する全国リーグで戦う彼等。元日本代表の柱谷哲二監督を迎え、今まさにJ3昇格への階段を駆け上がっている。
 そんなヴァンラーレ八戸結成の背景には、細越代表の「子供達への熱い思い」が隠されている――。
 本格的にJリーグを目指し始めたのは、2010年のこと。2006年のクラブ発足当時は、Jリーグ参入の目標意識は全くなかったという。
 U―12、U―15、社会人チームの3つのカテゴリーからヴァンラーレ八戸の歴史は始まった。発足時から、細越代表の思いは一つだった。
「子供達のサッカー環境を変えたい――」
 学校の部活動では指導者が不足し、能力があってもそれを発揮しづらいのではないか。細越氏は、そんな疑問を抱いていたという。能力を持っている子が、専門的な指導者の下、それを発揮できる環境を整えてあげたい。元を辿ると、そうしたサッカー教育への思いがクラブ発足のきっかけにあるのだ。
 そんな情熱からスタートした事業。Jリーグを目指すきっかけにもまた、子供達への思いが秘められていた。
「当時は、東北フリーブレイズ(アイスホッケー)も青森ワッツ(バスケットボール)もなかったので、子供達が身近で観戦できるようなプロスポーツ、身近で目標にできるようなチームが必要だと思いました」と細越代表。Jリーグを目指すサッカーチームの存在は、県内のサッカー少年・少女達を刺激する。今でこそ、2016年に在籍した市川大祐氏のような元日本代表選手も加入するチームに成長しているが、発足時のヴァンラーレ八戸は、子供達の目標となれるような存在ではなかったという。また、「県内にJリーグチームがあることで、県出身選手がJリーグでプレーできる可能性も広がる」と細越代表が話すように、県内での受け皿拡大の狙いもある。
 ここまで来るのは、当然ながら決して平坦な道ではなかった。
「現状から次に行くのは、パワーを使うと実感した」と細越代表は当時の思いを口にする。「今のままでいいじゃないか」と反対の声が上がり、「そんなの叶うはずがない。それでメシを食べていけるわけないだろう」とさえ言われた。「表面的な『頑張れ』しか言って貰えなかった」と当時の心境を口にする。そうした中、「共にこの道でメシを食おう!」と会社を辞めてまで尽力してくれた仲間がいた。彼等は今もクラブの要として細越代表と共にチームを支えている。こうした仲間がいるからこそ、細越代表は覚悟を決め、様々な重圧を乗り越えてきたのである。

 JFL参入後も困難にぶち当たった。それでも、J3クラブ発足へかける思いは人一倍強かった。
サポーターの記憶にも新しい苦い思い出と言えば、2015シーズンのこと。ファーストステージ優勝という偉業を成し遂げた年だ。これは、J3昇格を大きく大きく手繰り寄せたに等しい出来事だった。というのも、J3昇格条件の一つに、「年間4位以内且つ百年構想クラブ加盟クラブの内2位以内」というものがあるからだ。ファーストステージもしくはセカンドステージを優勝してしまえば、一方のステージの成績に関わらず年間2位以内が確約されるルールとなっている。つまり、この年は、昇格条件を満たした年なのである。
「いくべ、Jさ!」
 多くのサポーターが期待していたその秋、再び大きな壁が立ちはだかる。

J3ライセンス不交付――。

 成績と動員数の条件を達成できても、これがなければ昇格不可能。ライセンス交付基準である5000人収容可能な競技場の建設が間に合わなかったことで、「スタジアム要件」を充足せず、J3ライセンスが交付されなかった。また、一試合平均2000人という動員面での条件も未達成となり、不完全燃焼に終わった。
「この発表があってから、一気に選手のモチベーションが下がり、成績も下がりましたね」
 細越代表は当時をこう振り返る。
 十和田や五戸の競技場をも検討し、ライセンス交付を受ける為に手を尽くした。津軽と南部の壁を飛び越え、青森市の競技場まで視野に入れ基準に沿っているかを確認した。最終手段として盛岡市も考えたというが、県をまたぐことは認められなかった。最後の最後まであがいた。
「何もせずにダメでしたとは言いたくなかった。1%でも可能性があればチャレンジしたかった。『可能性』だけは見出したかったんです」
 それも全ては、子供達の目標となるJリーグクラブを地元に作る為。まさに、細越代表の情熱は本物であった。

 アカデミー(トップチーム下部組織)は現在、U―6~U―18まで幅広い。部活動ではなく、クラブチームであることの強みは何だろう。
「他校の色々な友達ができるというのがまず一つの特徴にありますが、U―18を作ったのは、進路をサッカーで選ばなくてもよい、というところにあります」
細越代表から、面白い答えが返ってきた。そうして、こう続けた。「親は公立の進学校に行かせたくても、子供がサッカーの強い私立に行きたい場合、アカデミーがあることで、勉強に特化する環境と、サッカーに特化する環境とを分けて考えられるかなと思っています」。進学校に進んでも、専門的な指導者の下でサッカーを続けられる環境がここにあるというわけだ。
「サッカーの為に進路を断念するというのがなくなる環境を作りたい。大学にも進学できれば、人生の選択肢が広がる。クラブチームでプロになりたければ、そこでその次を考えれば良いのです」
細越代表の話には、常に子供達の未来のことが中心にある。アカデミーはトップチームと違い、勝つことが全てではない。負けた悔しさ、勝った喜び。泣いて、笑って、一人一人が成長していく過程、子供達の豊かな表情を大切にしながら育成していくのだと話す。
昇格がかかった2017シーズン。クラブを支えてきた人々への一番分かりやすい恩返しは、「地域にJリーグチームがあること」と話す細越代表。「その為に大変なことがあるのであれば、乗り越えていきたい」といかなる苦労も受け入れる姿勢を見せた。
「やってやれないことはない」
 細越代表のこの言葉が、青森県初のJリーグクラブという歴史を作り、子供達の夢と可能性を広げていく。クラブカラーは緑。春夏秋冬、細越代表の思いと緑は「もえ」続ける。

取材に応えてくれた方

細越健太郎(ほそごえけんたろう)/プロフィール

1979年八戸市生まれ。八戸高校、専修大学卒。八戸に戻り、NPO法人クローバーズ・ネット理事長に就任、ヴァンラーレ八戸FCを立ち上げる。その後、株式会社ヴァンラーレ八戸を設立、同代表取締役に就任。4人の子を持つパパ。

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取材と文

佐藤梨香(さとうりか)/プロフィール

1983年10月12日、八戸市生まれ。スポーツライターとして県内の様々なスポーツを取材、執筆。デーリー東北の市民記者も務め、身近なニュースの取材も行う。「取材対象者の通訳となる!」のがモットー。趣味はサッカー観戦でヴァンラーレ八戸を応援。また、2015年にはPUMA公式アンバサダーに就任、PUMA Girlsとしても活動。同年、ホノルルマラソンにて人生初のフルマラソンを完走した。


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