No.33

「27分の1」体験

27の山車組それぞれに山車づくりのポリシーがある。
山車小屋に行かなければ決して知ることができない、
生活のすべてを祭りにかける山車人たちの心意気。

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下村豊 赤坂誠
取材・文 榊原由季

 厚いシートで覆われていて外から中の様子は窺い知れない。
 ひとけもなくしんと静まりかえったその建物へ入ると、まずは壁一面に昭和25年以降全ての年の題目の札が掲げられている部屋があった。皆が休憩し談笑する部屋なようだ。続いて作業部屋を見せてもらった。発泡スチロールを削る部屋、衣装を作る部屋、人形の顔や髪を作る部屋、全てのセクションがきれいに整理整頓されている。
 ここは、昭和6年から三社大祭 神社附祭に参加している内丸山車小屋である。本八戸駅にほど近い場所にあるこの山車組で10代の頃から山車制作に携わり、今では山車組の扇の要な存在になっている代表の下村豊さんと、製作責任者の赤坂誠さんにとっての三社大祭についてお話を聞いた。
 「祭りが好きで好きでしょうがない。」会話の中で、二人は何度も口を揃えて言った。
そんな祭り命の下村さんが一番最初に山車に"かだった(参加した)"のは幼少の頃。父親が「祭り馬鹿」で、その影響から物心ついた時にはもう生活の一部になっていたそうだ。なんと、すでに小学生の頃には、友達と一緒に自転車で別の山車小屋をまわって制作風景を見るのが楽しかったなと懐かしそうに目を細めて話してくれた。そして、高校生になると、いよいよ本格的に山車制作の仲間入りをした。もう一人の祭り男赤坂さんは、下村さんから声をかけてもらったのがきっかけで、高校生の時から"かだった"。子どもの頃は、祭りは見るだけだったが気にはなっていたという。念願かなって山車組に"かだって"からは内丸一筋。入ったのと同時に制作を始めた。
 
 その山車制作。一体どのようにして子どもたちは習得していくのだろう。すると、開口一番「うちは、あいさつや礼儀には厳しいからね」と返ってきた。年下の人でも、自分より先に山車組に入っている人は先輩なのだ。
 肝心の制作技術の習得だが、「さまざまなパーツの作り方は先輩から教わったり、見よう見まねで体で感覚で覚えるからなぁ。」いともあっさりとした答えだ。しかし、実物の制作物の精巧な造形力や、ていねいな仕上げを目にし触れると、彼らが幾度となく失敗を繰り返し、少しでも理想とする形に近づけようと試行錯誤し切磋琢磨してきたことを、そのひとつひとつのパーツが雄弁に物語っているように感じた。
 「あと、うちの組は(人形の)衣装には金をかけるよ。」
とも話してくれた。わざわざ東京の生地屋へ出向き、仕入れてくるのだという。
 思い出したように二人は、少し前まで、若い連中には「山車まぶり」という役割があったよと教えてくれた。「山車まぶり」とは、期間中の夜間に、山車がいたずらされないように山車の上で寝る役目。下村さんも赤坂さんも、それがしたくてしょうがなかったらしい。
 なんと、下村さんはここ数十年、期間中は家へ帰らず山車小屋で寝泊りしている。理由を聞くと「だって、山車をずっと見ていたいし、山車と一緒に居たいからなぁ。」と、まるで愛しい人を思い浮かべて話しているような表情になった。間髪いれずに「着替えや仕事は?」と現実の世界へ引き戻すと、着替えは家族が届けてくれて、小屋の近くには銭湯があるからそこで身支度を整えて仕事に出かけるのだという。なんとも天晴れ。父親のDNAをしっかり受け継いでいる正真正銘の「祭り馬鹿」です。
 近年は、「年も年だし、そろそろ今年からは家に帰って寝よう」と心に決めて来るらしいが、いざ祭りが始まってしまうと、後ろ髪が引かれて、結局、寝泊りしてしまうのだという。
 下村さんも赤坂さんも、同じ山車制作をしている仲間の中からパートナーと出会った。今では、子どもも一緒に、家族ぐるみで山車に "かだって"いる。内丸のメンバーにはそのような人が他にもいる。濃いつながりである。
 次に驚いたことは、他の組とパーツの貸し借りがあることだ。ただ貸し借りするのでは驚かないが、なんと、借り物なのにそれに手を加えてしまうというのだ。「え?借り物なのに切ったり、色を変えたりするんですか?」と聞くと、「だってお互いさまだもの。それに、俺達プロじゃないからいいの」とのこと。確かに、他の山車組でも、借り物の色を塗り替えたり、トラの足を切ったり、潔く真っ二つに割っていたことを思い出した。それでも全くの恨みっこナシ。相手との信頼関係があって成立する"貸し借り"である。八戸に生まれ育った私ではあるが、知らないことを知ったこの興奮は、隕石にでもぶつかったような衝撃だった。八戸人ってすごすぎる。
 お二人からさまざまなエピソードを聞いていて、山車の魅力は魔力だと感じた。
 そして、それ以上に、山車に関わっている人たちは自分達が神社の「附祭」であることに誇りを持ち、仲間意識や連帯感が強く、何よりも祭りをめぐるすべての活動に愛があると感じることができた。
しかし、祭りオトコの二人は、数十年前と今の山車組を取り巻くさまざまな変化も感じとっており、危機感も覚えていた。
 近年の山車制作者には、町内の出身者や居住者が少ないため、町内に住んでいる人々にとっては「好きな人がしていること」と見られている。少しでも心の距離を近づけたいと。見た目はヤンチャそうなのに、心はとてもピュアで火傷しそうなほど真っ直ぐで熱い。
三社大祭を何十倍も味わえるように、祭り本番を迎えるまでの山車小屋27組全部とは言わない。1組でもいいから行って関わっている人に会うことをオススメしたい。「人」がいるから続けられる。支えられている。頑張る原動力が湧いてくる。なんてステキなことだろう。
 取材を終え小屋を出ると秋晴れの空に吹く風がピリッっと頬にしみたが、次の夏にはまた祭に"かだって"みようかなと心がホクホクしている自分がいた。



取材に応えてくれた方

下村豊(しもむらゆたか)/プロフィール
1962年、八戸市城下生まれ。祭のOFFは登山やアイスホッケー。とにかく一年中からだを動かしてないと気がすまない。生涯現役で山車作りをするのが夢。

赤坂誠(あかさかまこと)プロフィール
1970年、八戸市江陽生まれ。趣味は登山とアイスホッケー。将来は車で日本一周して全国の祭を観てあるきたい。


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取材と文

榊原由季(さかきばらゆき)/プロフィール
はっちスタッフ。八戸生まれ八戸育ち。良いことも悪いことも大切なことも、わりとすぐに忘れてしまう特徴あり。2020年までの目標。このプロジェクトのことをしっかり覚えていること。

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