No.3

40年越しの約束

南部弁と津軽弁に育まれた男の友情。
お国言葉の美しさと魅力にとりつかれた二人は、
長い時を超えて、その約束を実現した。

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柾谷伸夫
取材・文 慶長洋子

 柾谷伸夫さんは、弘前に行くと必ず寄るところがある。そこは老健施設で、彼の人生を大きく変えた理想の人であり、恩人でもある川村勝(かわむらしょう)さんに会うためである。
 「早く元気になって、また一緒に『津軽昔コ』『南部昔コ』をやりましょう」と必ず約束をして帰ってくる。

 大学に入った時に、高校の演劇部の顧問から、社会人劇団「雪国」を紹介してもらい活動をした。そこで出会ったのが、川村勝さんである。
 演出家としての川村さんは、自分が演技をしていると、その演技から今の自分が考えていることや、悩んでいることがわかるようで、いつも的確なアドバイスや指導をしてくれた。考え方が甘かったり、何かに迷っていると、すべて見抜いたうえで声をかけてくれた。だから今でも人間としても尊敬しているし、友人でもあり師匠でもある。
 大学時代は、お金がなくなると川村宅にご飯を食べに行ったり、その代りに小学生だった子ども達をスキーに連れて行ったりして、自分も家族の一員のような付き合いをしていた。大学を卒業する時に、大鰐温泉のホテルに泊まりがけで、川村さんの家族全員が「さよならパーティー」をしてくれた。その時に「僕が60歳で定年を迎えたら、2人で『津軽昔コ』と『南部昔コ』で青森県内を回りましょう」と約束をした。
 約束どおり自分が退職をした時には、川村さんはすでに80歳を超えていたが、2人で一緒に西目屋と弘前で2回の口演をすることができた。長年の思い、40年越しの約束が実現し、言葉では表せないほど嬉しく、夢のようだった。
 劇団「雪国」に入らなければ川村さんと会うこともなかった。東京の大学を目指していた柾谷さんは、大学受験を目前にし、急性腎臓腎炎で入院することになり、東京まで行くことができなかった。病院から外出して受けることができたのは弘前大学だった。
 病気のおかげで弘前の劇団「雪国」で活動することになったのである。そこで、社会人として地域でやるべきことやその意味の大切さを学んだ。そして川村さんにも出会った。
 劇団「雪国」は津軽の歴史を掘り起こしたものや、地域に根ざした内容のものを劇の題材にしていた。そして津軽弁での演目もやっていた。
 普通の演劇では、柾谷さんは役をもらって舞台に上がることができたが、津軽弁での「津軽の嫁っこ」では南部弁が出てしまうことが災いして、スタッフに回わされた。津軽弁と南部弁は全く違うものだということを身をもって知らされた。この経験が南部弁に対する強いこだわりに変わっていったような気がする。と柾谷さんは語る。
 30年ぐらい前に岐阜で一人芝居「海村(かいそん)」の公演をした時に、観客に「柾谷さんの津軽弁が美しくて良かった。」と言われた。その時、南部弁がいかに認知度が低いかを痛感した。また南部弁が最近使われなくなったのではないかと危機感を持ち、南部弁をきちんと伝えたいと思うようになっていったのである。
 柾谷さんは今なお、南部地域に根ざした南部弁にこだわった演劇や「南部昔コ」に情熱を傾け続けている。そんなライフワークに出会わせてくれたのは、川村勝、その人との出会いがあったからこそなのである。



取材に応えてくれた方

柾谷伸夫(まさやのぶお)/プロフィール
1948年八戸市鮫町生まれ。地域演劇活動や八戸聖ウルスラ学院高等学校教諭時代には高校演劇の指導に力を注ぐ。定年後は八戸市公民館館長として、うみねこ演劇塾、「南部昔コ」語り養成講座を開設し、指導役を務める。八戸童話会会長、鮫神楽保存会会長、演劇集団ごめ企画代表も務め、八戸市の文化活動に貢献している。

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取材と文

慶長洋子(けいちょうようこ)/プロフィール
61歳。八戸市の委託で出前消費者講座を行っている。町内会、老人クラブ、ホットサロンなどの集まりにお邪魔し、多くの皆さんとの出会いを楽しみにしている。いつまでも新しいことにチャレンジできる自分でいたい。

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